愛光学園 AMOR ET LUMEN

愛媛県松山市衣山 高い教育目標、熱意をもつ教師、向上心に富む生徒溢れる学園、愛光学園
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チュータ日誌

中間考査が終わりました

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3学期中間考査が終わり、学年末まで40日ほどとなりました。

人間がこの世で生活する以上,都合のよいことも都合の悪いことも起こる。それは日頃の心遣いの結果であると言われればそれまでだが,人間生活は,常に理想的な生き方ができるほど単純なものではない。ただ,自分の周りに現れる事象をしっかりと捉え,心を正そうとする気持ちがあるかどうかで,人生は大きく変わるものだとわたしは考えている。自分に都合の良いことの場合は,誰でも喜んで通ることができる。しかし,不都合な困難が起こった時に,どのような心遣いをしながら,その困難を乗り切っていくか,ここに人間の運命の分かれ道があるような気がする。

つまり,自分に都合が悪いことが起こっている時こそが,運命の切り替えができるビッグチャンスであるという考えである。世間でよく言われるように,「節から芽が出る」のである。

個人的な話で恐縮であるが,わたしの場合も,人生においていくつかの苦難に出会った。最初の苦難は,結婚後にやってきた。長男が,出産直前に亡くなるという実に厳しい運命に遭遇した。わたしの家系は男子が短命に終わることが多いと,父親から聞かされてはいたが,まさか,自分に降りかかってくるとは夢にも思わなかった。わたしたちは,その時に,何をなさねばならないかを真剣に考えた。そして,出した結論は,子供が育たないというのは,木で言えば,枝葉が育たないということではないか。枝葉が育たないのは根に栄養が足りないからである。木の根は家で言えば,大元となる両親や祖父母のことではないか。この根にこやしをやらなければ,枝葉は育たない。だから,親が喜ぶことを一つでも多くさせてもらうことが必要ではないかというものであった。

東京から松山へ帰ってきた理由を一つだけ挙げるとすれば,親孝行であった。この判断が果たして正しいものであったかどうかは,神のみぞ知るところであるが,愛光への奉職が決まる経緯が実に不思議の連続であったことから察すると,間違った判断ではなかったように思える。

人生には,苦難と思われることがしばしば起こる。それが,なぜかと考えることも必要である。しかし,それ以上に,その後をどのような心を持って生きねばならないかということを考えるほうが重要ではないか。しかも,その生き方にはチャレンジの精神が必要であり,その道を歩む時に,一筋の光明を見つけることのできる積極的な明るい生き方でなければ,節から芽は出ないであろう。暗闇の中で新しい芽を腐らせてはならないのである。

雪が積もりました

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今朝は雪が積もりました。本日の中間考査は1時間遅れで開始となります。

中間考査2日目

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今日も中間考査中の学校の様子を紹介します。

三学期中間考査が始まりました

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中1から高2までは今日から中間考査が始まりました。

お雑煮調べ(中2総合)

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明日から中間考査です。(中1~高Ⅱ)

 

1月14日(土)の生徒への年頭挨拶で,初代校長,田中忠夫先生の言葉,

「利己心・享楽心・流行心よりの超越を志すこと」の中の「利己心よりの超越」に触れ,利己心の反対の意味を持つ利他的な心が世界的教養人を目指す者にとって,必要不可欠であるということを伝えた。

昨年の夏休み中に,大山泰弘さんの著書「利他のすすめ」を手に取る機会があり,12月に稲盛和夫さんと瀬戸内寂聴さんの対談集「利他」(人は人のために生きる)を通読した。

対談集「利他」の中で,稲盛和夫さんが老師から聞いた話として,地獄と極楽の違いについて次の話を紹介している。

―― 実は地獄と極楽は,見た目だけからしたら,それほど違いはないそうなんです。どちらにも,大きな釜に美味しそうな「うどん」が煮えている。そして,みんなが1メートルもある長い箸を持っている。

地獄の住人は,われ先にと箸を突っ込んで食べようとするんですが,箸が長すぎて自分の口にうまく運べず,そのうちに,他人の箸の先のうどんの奪い合いを始めてしまう。結局,ちゃんと食べられなくて,うどんを目の前にしながら,誰もが飢えて痩せ衰えている。

ところが極楽では,誰もが箸で掴んだうどんを,向かい側の人に先に食べさせてあげている。だから全員がうどんを食べられて,満ち足りているというんです。――

実に分かりやすいたとえ話で,わたしも以前にこの話を聞いた記憶がある。世の中が助け合いの仕組みになっていることを,見事に説明している話だと思う。

この話はあの世での地獄と極楽の話ではなく,この世での人間の生き方を説いた話だとわたしは考えている。

つまり,あの世ではなく,わたしたちが暮らしているこの世に,また,これから人が生まれかわり出かわりして暮らすであろう未来の人間世界に地獄と極楽があるのではないか。

この世を地獄にするか,それとも極楽にするか,それは,人の心の持ち方によって決まるような気がする。身体は自分の自由にはならないが,心はどのようにでもつかえる。心の持ち方によって,この世が極楽になったり,地獄になったりするのではないだろうか。

聖トマスの祝日

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本日は、聖トマスの祝日です。
ホーム=ステイの写真紹介2回目です。

体育の授業

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今日も寒いです。

2012年2月

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