チュータ日誌

(2018/03/04)チュータのひとりごと 第552回(卒業式 式辞(1))

 3月1日(木)に60期卒業式を行いました。式辞の一部を二回に分けて紹介します。

卒業式式辞(1)

 さて,今日の卒業式,「感謝と祈り」についてお話をしたいと思います。

 皆さんは,CLEやクリスマス祝会,物故者追悼式等で感謝と敬虔な祈りをささげてきました。

 わたしたちにこのような感謝と祈る気持ちが湧いてくるのはなぜでしょうか。

 われわれは,この広大な宇宙の中の地球という小さな星の中で,互いに助け合いながら,生かされ生きていることに皆さんも気付いていることと思います。

 助け合うという行為は,人間以外の他の動物にも見られることがありますが,やはり,人間特有の行為と言ってもよいと思います。

 さらに,助け合うという気持ちになるのは,互いに「感謝」の気持ちがあるからであって,その「感謝」の気持ちから崇高な「祈り」が生まれるのではないかと思うのです。

 感謝をし,手を合わせて祈る行為は,まさしく人間にしかできないということは言うまでもないことであります。

 感謝と祈りの気持ちが生じるのは,人間が人類と呼ばれるに至った時点で,すでに,「感謝と祈り」のDNAが刻まれていたように思えてなりません。

 その証拠にどの民族にも「感謝と祈り」が存在しています。

 皆さんによく紹介してきた,アインシュタインの「We exist for our fellow-men. 人間は他人のために存在する」も,ヘレンケラーの「Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others. 人生は胸躍るものです。最もわくわくするのは,人のために生きるときです。」という言葉も,二人が世の中から受けた数々の恩恵に対して,感謝の気持ちを持ち,さらに同胞に対する祈りの気持ちを持っていたからこそ発せられる言葉だと思います。

 祈りについて言うと,73億人が生存するこの地球上で,僅かの数であっても,直接,他人のためにベストを尽くして手を差し伸べ,さらに幸せを願うということ,また,自らの力が直接に及ばない多くの人たちの幸せを心から願うことが,祈りという行為と呼べるのではないでしょうか。

 京都大学の総長を務めた故平澤興氏は著書「燃える青春」の中で,祈りについて,平澤氏が心の友とする元京都大学外科学教授の「手術は祈りなり」という言葉を聞いて感動し,次のような言葉をつづっています。

―― 外科医が手術に最善を尽くすのは,当然のことである。しかし,「手術は祈りである」という言葉のなかには,はるかに最善以上のものが含まれている。それは,医学と医術の限界を知り尽くした名医が,自らの最善を尽くして,その上にさらに神の前にひれ伏し,患者のために手術の成功を祈る姿である。――

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