愛光学園

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図書館

★貸出図書数中高別ベスト5-平成19年度の統計-                             
中学部 1位 1a 1783冊   高校部 1位 ⅡD    330冊
        2位 1c 1361冊         2位 ⅡB    311冊
        3位 1b 1167冊         3位 ⅠC    257冊
        4位 1d 1156冊         4位 ⅡA    241冊
        5位 2a  816冊         5位 ⅠB    228冊
                  2c  816冊     
中学部貸出総数   9957冊      高校部貸出総数    2324冊
貸出のべ人数     5902人        貸出のべ人数       1336人


★貸出ベスト-平成19年度の統計-                                      
  第1位 『ラスト・イニング』(あさのあつこ/著)
  第2位 『あのころはフリードリヒがいた』(H・P・リヒター/著)
  第3位 『ナイフ』(重松 清/著)
      『クマのプーさん』(A・A・ミルン/著)

★貸出の多かった作家                               
       はやみねかおる『都会のトム&ソーヤー』
       森 絵都   『永遠の出口』『DIVE』1-4『つきのふね』
   井上 靖   『夏草冬濤』『風林火山』                    
   佐藤多佳子  『一瞬の風になれ』1-3
   恩田 陸     『光の帝国』『六番目の小夜子』『ドミノ』
       あさのあつこ 『バッテリー』シリーズ『ほたる館物語』
   豊島ミホ   『檸檬のころ』『夜の朝顔』
   M・エンデ  『モモ』『はてしない物語』
   M・ルブラン  『怪盗ルパン』『ルパン対ホームズ』

 野球と私                      数学科  竹内 聡
 「私」と言う人間を語る上で、「野球」は欠かすことのできない必須アイテムである。私にとって、野球は「永遠にかなわぬ大切な夢」である。
  運命が少しずれていたら、もしかしたらプロ野球選手になっていたかもしれない...というのは少しオーバーかもしれないが、野球に関係する仕事に就く可能性はあった。
 小児喘息が治まった小学5年生頃から、週に2~3日は校区内の石手川河川敷で野球をしていた。また、町内のソフトボールチームに入って年に数回大会にも出ていた。体力もついてきて、野球の能力も伸びてきた。リトルリーグの監督からの誘いもあったが、断った。でも本当はピッチャーをやってみたかった。もしリトルリーグで活躍していたら、「桑田や清原のライバル」だったかもしれない。
 もし、愛光に合格しなかったら、松山商業に行って野球をしようとも考えていた。また、記憶違いかもしれないが、愛光のパンフレットに「野球部」と書いてあったので、合格したら野球をしようと思っていた。ところが、入学してみると、野球部がなかったのでソフトボール部に入った。怪我などもあったが、非常に楽しかった。
 中高時代はいろいろ紆余曲折もあった。成績は伴わなかったが、東京大学を目指すことにした。「数学の教師になりたいという夢をかなえるためにも、日本一といわれる大学で日本一の授業を受けてみたい」という表向きの理由もあったが、「東大へ行ったら、初心者でも野球部に入って野球ができる。もしかしたら神宮で活躍してプロ野球に...」という気持ちもあった。だが、そんな甘い気持ちで合格するはずもなく、2回のチャレンジはことごとく跳ね返された。
  早稲田大学では野球部に入部することすらできるはずもなかった。体育の授業で、1年生ではソフトボール、2年生では軟式野球を選択した。そのときの指導教官が、高校野球甲子園大会で審判をされていた西大立目先生だった。授業の中で、「東京六大学野球の指定された試合のスコアをつける」という課題が出て、受講者数人で指定された試合のひとつを観に行った。ランダウンプレーのミスなど、スコアのつけにくいプレーがいくつかあり、みんな迷っていたが、結局私の記録を写す形となった。このことなどがきっかけで、西大立目先生から「プロ野球の公式記録員にならないか」という誘いを受けた。かなり迷ったが、結局教員になることを選んだ。
  教員として松山に戻ってきて20年になる。「野球王国」と言われながら、プロ野球とは縁遠い土地である松山に、この10年の間に坊っちゃんスタジアムができ、四国ILが誕生し、愛媛MPというホームチームができた。ボランティアとして登録はしているが、なかなかスケジュールが合わず、年に1~2回ボールボーイなどで手伝う程度である。だが、私には試合を観ながら応援する方が性に合っているようだ。応援しながら選手に自分を重ねている自分がいる。もし四国ILが20年前にできていたならば、私がこのグラウンドでプレーしていたかもしれない。少なくともチャレンジしていたかもしれない。そう思うと、選手達が彼ら自身の夢を、そして私の夢をかなえようとしている舞台を応援したくなる。選手達が本当にうらやましい。
  読売巨人軍のファンクラブに入って8年目になる。「巨人ファン」という形でプロ野球の中に自分の居場所を確保している。球場で直接応援できる機会はなかなかないが、昨年夏に、東京ドームの満員の観客の前でグラウンドに立ち、篠塚コーチのノックを受けるという機会を得た。外野フライなんか簡単に取れると余裕を持って臨んだが、2球のうち1球を取り損ねた。認めたくはないが、残念ながら想像以上に衰えてしまっているようだ。うれしくもほろ苦い思い出になった。
 今でも早朝野球チームに所属していて、年に数試合ではあるがプレーしている。体より先に気持ちが動いていて悔しい思いばかりしているが、もう少し「現役」でいたい。
 まだまだ先の話ではあるが、定年を迎えてまだ元気が残っていれば、野球の「おっかけ」をやってみたいとも思っている。キャンプ巡りや球場巡りなど、今は出来ないことを数年間思い切りやってみたい。できるだけ長く野球と付き合っていきたい。その気持ちが今の自分の支えの大きな一本であることは間違いない。
★★生徒会誌に見る学校の履歴★★
生徒会誌第7号より,高Ⅰ近藤史人氏の作品を紹介します。近藤氏は2003年度,大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されました (『藤田嗣治「異邦人」の生涯』)。15歳の氏に文才の片鱗はすでに芽吹いているのでしょうか。

「海幸山幸」
(一部を抜粋)
雨あがりの山は美しい。水気を十分に含んだ椿の葉が朝の光にきらきらと輝いている。海幸彦は何か勝手が違うのにとまどったが,すぐに自分にもかなりな量の獲物がとれそうな気がしてきた。人間のうぬぼれの強さである。よし取ってやるぞ!
梢をがさごそ鳴らす音が聞こえたのはそのときであった。山に馴れない海幸彦の耳に,それは非常に不気味に聞こえた。弟から聞いていたあの恐ろしい猪ではないか,いや熊,狼......。悪いことばかり頭に浮かんだ。音はだんだんと近づいてくる。ガサ,ガサ。海幸彦はもう恥も外聞もあったものではない。弓も矢も放り出して近くの木にかけ登った。足がひとりでにふるえた。ザワッ,ザワッという音に変わって,あの不気味な音はもうすぐそこまできていた。
海幸彦は死ぬかもしれないと思った。自分を山へ来させた弟に対する怒りがこみ上げてきた。絶望・怒り・憎悪......。その時,ザワッと海幸彦の目の前の枝が揺れたわんだ。そこからあらわれたのは一匹の臆病そうな小兎であった。海幸彦は,それを凝視した。それは熊でも猪でもなかった。それは小さな兎以外の何物でもなかった。小兎はしばらくきょとんとしていたが,やがて木の上にぽかんとしている大男を見出した。そして,如何にも不思議そうにぴょんぴょんと向こうへ立ち去った。海幸彦は屈辱を感じていた。海幸彦が登っている枝が折れたのはその時だった。.........
海は広かった。真青な大空と紺碧の大海原。その接線のあたりから覗いているのは純白の絹の塊のような入道雲である。
「素晴らしい。やはり海に来てよかった。よし今日は兄上の三倍も四倍もの魚を釣ってやるぞ。」
これも好きなことばかり考えている。だが,山幸彦も餌をとられるばかりで一向に魚は釣れない。昼近くになるともう飽きてしまった。しかしここで帰ると立場がなくなる。夕方近くまでに一匹でも釣ろうと躍起になった。日はまさに西に傾きかかっていた。山幸彦が釣竿に手応えを感じたのはその時であった。しめたと思った。ぐいぐいと手応え。山幸彦は力まかせに引っ張った。プツッ,と糸が切れる音。しまったと思ったがもう遅い。引き上げられた竿にもう針はなかった。.........
日はすでに西に沈み雲のみが紅に染まっている。山幸彦は海辺の岩に座って途方に暮れていた。沖を走る一隻の赤船が何時になく物悲しい。


★★数学同好会★★
今年度最初の数学同好会が4月25日に行われ,図書館2階のいつもの部屋があふれんばかりの大盛況となりました。高ⅠE組の生徒が新しく8名加わり,参加者総計16名。
今年度は組合せの問題を中心に,話を進めていくことになっています。
先日扱った問題を紹介します。
  1. 10000円札を100円,50円,10円硬貨で両替すると,何通りの両替が可能か。
  2. 10000円札を500円,100円,50円,10円硬貨で両替すると,何通りの両替が可能か。
  3. 一般な位置にある$n$本の直線は平面を何個の部分に分割するか。
  4. 一般な位置にある$n$枚の平面は空間を何個の部分に分割するか。

★★本の紹介★★
「哲学塾」 (岩波双書全15巻)
愛光でひそかに哲学の本が流行っている? 断定する根拠はないが,図書館で哲学関係の本を借りていく人は少なくない。興味がある人には,いま出版されつつある岩波双書 「哲学塾」 がお薦めです。全15巻。
そのうちの1冊, 「パラドックスの扉」。
知ることは,知らないことからの脱却だが,同時にそれによって,これまで見えていた何かが見えない世界に突き落とされる。さらに同時に,知ることに向けて開かれた新たな知らない世界が出現する。しかも,こうした知と不知はそれほど明瞭に分かたれているわけでもない。個人が,学者グループが,人類が,あるいは他の何かが,恣意的に,仮に線を引いているにすぎない。
こうした 「知の境界」 のダイナミズムがこの本のおもしろさです。

「ほんのくらくら」は,愛光学園図書館の別働隊。本好きの生徒と館長が発行する,本好きの,本好きによる,本好きのための広報誌(プリント)です。
今年度最初の号である44号の主要記事を紹介します。

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42号で,「本について」 をテーマとした文章 (散文,韻文,何でもOK) を募集しました。寄せられた原稿を掲載します。ご意見があれば,お寄せください。また,それ以外の原稿もお待ちしています。

「ライトノベルについて」 

芥川龍之介や夏目漱石とかの有名な文豪よりも人気で,多くの人々に読まれ愛される本が,近ごろ多く産出されるようになった。
これらの本はまとめてライトノベルと総称され,この愛光学園でも多くの人が読んでいる。内容は豊富で,SF,恋愛,冒険,学園etcだ。昔,夏目漱石の 「吾輩は猫である」 が多く出版されたように,ライトノベルの中には240万部売れたものもある。
もはや文豪たちの作品は故人の作品にすぎず,どんなに何度も読んでも,そして待っても次回作は出ないし,今読むべき名作もその中のほんのわずか,あとは日の光も望めないものもある。たしかに彼ら文豪の腕は超一流で,読む人に涙を与えられるものもある。だが,故人となっては彼らの腕も意味がない。時代は変わるのだ。故人は若者に未来を託し,若者にその作品を残した。その作品を読み,また若者が作品を書く。ライトノベルを読んでいることは,普通の小説を読むことと大して変わらないのだ。
だが今の大人たちはそれを重視していない。その理由は明確で,ライトノベルの特徴は表紙の絵にある。それを見るなり,漫画と同様視する。有名な絵師たちが描くイラストはたしかに漫画のように見えるかもしれない。だが読みもせずに,目をそむけないでいただきたい。
ある歴史教師は手にとって見るなり苦笑を漏らし,国語教師は 「いいかげんにやめろよ」 の一言。数学教師は鼻息一つで去る。開いて読みもしない。どんなにくだらないように思える本でも,一読してから判断するべきだ。
愛光生よ,今あなたの目の前にはそうした教師もいる。しかし,頭だけの大人に負けないでほしい。ライトノベルもちゃんとした本であり,皆に愛されている。そのことを信じてほしい。そしてこんな種類の本もあるということも知ってほしい。
(高Ⅰ生 K氏)
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「キュリー夫人伝」 (白水社 エーヴ・キュリー)

ああ! 女子学生の青春は 早瀬のようにすぎていく
まわりの若者たちは つねに新しい情熱で
安易な楽しみに 走るばかり!
孤独のなかで
彼女は生きる 手さぐりしながら けれど幸せに満ちて
屋根裏の部屋で 思いは燃え
心ははてしなく 広がっていく......
やがてその恵みの日々も終わり
科学の国を 去るときがくる
日々のパンを 勝ち得るために
人生の灰色の道を 行かねばならない
......そしてしばしば 悩み多い魂は
あの屋根のもとに 帰っていく
いつまでも 変わらずたいせつな 心の部屋に
そここそ ひとりひそやかに挑み その身を鍛えつづけた場
今もあざやかな いくつもの思い出にいろどられた世界......
ワルシャワで生まれ育ったマリー・スクウォドフスカ (後のキュリー夫人) は,高校を卒業後6年間,住み込みの家庭教師をしながら,姉のブローニャがパリで医学を学ぶ手助けの仕送りを続けた。そして6年後,ブローニャが卒業すると,今度はマリーがパリに出て,ブローニャの援助でソルボンヌ大学の学生になる。
24歳で大学生になったマリーは,安アパートの屋根裏部屋で,取り憑かれたように猛勉強を始めた。
食事を作る時間,食べる時間も惜しんで,1日机に向かいつづけ,餓死寸前で倒れたこともある。
ランプ代を節約するため,毎晩10時までは近くの図書館で勉強。アパートに戻ると,2時3時まで勉強。翌朝は7時半に起きて大学に。
大学では誰よりも熱心に受講し,ノートをとり,実験し,教授とのわずかなおしゃべりで気分をほぐす。
そして再び図書館へ,アパートの屋根裏へ。
上の詩は,そのころ彼女がノートに記したものだ。後の自分が,今の自分を振り返る構図ともとれる。

キュリー夫人は,夫のピエール・キュリーとともに,女性として初のノーベル賞 (物理学賞) を受賞し,さらには夫亡き後,ノーベル化学賞も受賞。1人で2度ノーベル賞を受賞した唯一の人となる。
長女のイレーヌとその夫もノーベル化学賞を受賞。一家4人で5つのノーベル賞をもらった。
この伝記を書いた次女のエーヴはピアニストである。
心打たれるのはマリーの生き方だ。晴れやかな経歴を誇ることなく,どんなときにもつつましやか。特許でお金を得ることを勧められても一顧だにしない。
「お金は食べるだけあればもう十分。私は生涯,科学のしもべであり続けるつもりよ」,彼女は娘たちにそう言い続けた。
栄光のさなかにあったあらゆる人々の中で,あれほど閉ざされた表情と,その場に心がないかのような雰囲気を見せた人は,たぶん他に誰もいなかった。嵐のような喝采の中で,あれほど孤独に見えた人は,他に誰もいなかった。
娘のエーヴに映った母親の姿である。
(図書館長)


2013年1月

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