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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第284回(中学入学式式辞(1))

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式辞

 挨拶文(省略)

 今,皆さんは希望とやる気に満ちて,姿全体がキラキラと輝いて見えます。その輝きはどこから発しているのでしょうか。

 それは,目には見えない皆さん一人ひとりの心が,そのまま姿に表れ,輝きとして,わたしたちの目に映っているのです。中学入試に向かって,小学4年生の頃から塾に通って勉学に励んだ人もいるでしょうし,また,一人で黙々と勉学に励んだ人もいるでしょう。いずれにしても,本人しか分からない,目に見えない努力を続けてきた結果,入学試験合格という形あるものを手に入れることができたのです。本日の入学式を動かしている力,そして皆さんが輝いている姿の元は,人の目に触れることがほとんどなかったと言ってよい,何年間も積み重ねてきた皆さんの勉学における努力によって生まれているのです。

このように,世の中には目に見えないものが目に見えるものを動かしているのではないかと思われる現象がたくさんあります。目に見えない空気を吸ってわれわれが活動していること,目に見えない電気が電車を動かし,目に見えない月の引力が潮の満ち干を起こすなど数え上げたら切りがないほどです。

われわれの人間生活も,実は,目に見えないものが,目に見えるものを動かしているのではないかとわたしは考えています。

皆さんの最も近い家族という点から,考えてみましょう。

家族の姿は目に映るのですが,家族という絆は目には見えません。それでは,この絆はどのようにして結ばれていくのでしょうか。

絆は目に見えない言葉によって結ばれます。家族のお互いがかける思いやりのある言葉,やさしい言葉,温もりのある言葉が絆を深めていくのです。逆に冷たい言葉,人を切る言葉,ののしる言葉などが続けば,家族関係はねじれてきて,ギクシャクしたものになります。言葉は目に見えませんが,この言葉によって,これも目に触れることのない感情というものが湧いてきます。この感情が人の表情,つまり人の姿に表れ,他人の目にはっきりと映ります。

ありがとう,ご苦労様,よく頑張っているね,おかげで助かったよ,などという温もりのある言葉が温もりのある家庭を築いていき,そして,その目には見えない温もりが家族一人ひとりの表情になって他人の目に映るものなのです。

夫婦の会話,親子の会話,子供どうしの会話という,目に見えないコミュニケーションが,その家庭の雰囲気を決め,その雰囲気が目に見える家族の姿となって現れます。家族がお互いに声をかけ合うとき,近い関係と言えども,言葉とその言葉を発する感情に配慮が必要なのです。つまり家族の中の心遣いが大切と言えるでしょう。

規模が大きい学校の姿も人の目に触れるものです。

しかし,学校が家庭と異なるところは,親と子に先生が加わることです。学校の姿は,生徒と親と先生の,目には見えないコミュニケーションがどのように行われているかという結果が現れるものであると思います。学校における教師と生徒の間,保護者と教師の間,保護者と生徒の間,さらに生徒と生徒の間,保護者と保護者の間,教師と教師の間,このどの関係が崩れても,学校の姿はいびつなものになってしまいます。

そのような意味で言えば,学校も皆さんの家庭とよく似ていると言えるでしょう。

本日はこのビッグな「愛光家族」の一員として,皆さんをお迎えしました。今日から生徒の皆さんだけでなく保護者の方々も,共に「世界的教養人」,「愛と光の使徒」を目指す仲間入りをし,愛光家族の一員となったことをしっかりと心におさめていただきたいとお願いをしておきます。

さて,せっかくの機会でありますので,目に見えない陰徳,つまり陰で積み重ねる精神的・道徳的にすぐれた品性や人格についてお話をしてみましょう。

人間は個々の徳分の程度によって,人生がうまく進んだり,うまく進まなかったりするのではないかと思うことがあります。

それでは徳はどのようにして積めばよいのでしょうか。徳の積み方は単純明快,人に喜んでもらうことです。人がどのようにしたら喜んでくれるだろうかと考えて実行できる人は徳を積むことになります。これに対して,人が苦しむことや,恨みに思われるような行為をする人は,自らの徳を減らしていることになります。日常生活の中で,積み重ねられた徳分と減じられた徳分のプラス,マイナスで人生が変わってくるのではないかとわたしは考えています。余れば返す,足らねば差し引くというのが天の差引勘定ではなかろうかと思うのです。

たとえば,ごみが落ちていれば,「あっ,徳が落ちている。」と拾い上げて,ゴミ箱に移してください。トイレがよごれていたら洗い流してください。人のためになることは,どんなことでも,すべて徳になると思って,積極的に行動を起こしてもらいたいと思います。

 徳分を深める行為は,われわれの日常生活のあらゆる場面に,つまりすぐ身近に存在するのです。その行為は誰にも見られていないかも知れませんが,実は神様はきちんと見てくださっているのです。筑波大学名誉教授の村上和雄氏や「人類を救う哲学」の著者である京セラの稲盛和夫氏,同じく哲学者の梅原猛氏が唱える「サムシング・グレイト」(何か偉大なるもの)が見ていてくれるのです。誰も見ていないところで人様に喜んでもらえる行為をする,それが陰徳を積むということです。


2013年1月

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