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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第302回(餃子の垂れ)

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わたしは,餃子が大好きで,出張の帰りに空港で一口餃子をおみやげとして買うこともよくある。

先日,市内のフライブルグ通りに餃子を食べさせてくれる新しい店ができたと聞いて,出かけてみた。開店して間もないこともあってか,店内は客で込み合っていた。ただ,時間が早かったこともあって,空いたテーブルが一つだけあり,外で待つというようなことはなかった。帰りには10名くらいの客が外で待っていたことを考えると,人気の店ということであろう。

餃子を注文してから,餃子の垂れをどのように作るのか興味があった。テーブルを見ると,醤油,ラー油,そして酢が並んでいる。

わたしがふだん訪れる中華料理店では,最初からその店専用の餃子の垂れが出されることが多い。いつも,そのことを不満に思っていたわたしは,さすが専門店だと感心した。餃子がいかにおいしくとも,垂れが自分の気に入った味でないと満足できないという人は多いのではないだろうか。早速,自分流の垂れを作って,出される餃子とマッチするかどうか試してみた。

餃子の皮の中を見ると,野菜よりも肉のほうがやや多いと思われたので,垂れに酢をほんの少し多めに入れた。わたしは「むつこい味」が苦手で,あっさりしている味が好みであるため,肉が多いと酢で「むつこさ」を和らげることにしている。

口の中に入れて,久しぶりに餃子と垂れがマッチした自分好みの味を楽しむことができた。

最近では,餃子だけでなく,麺類にしても,うどん,そば,素麺専用の出し汁が販売されている。これはこれで,便利でよいのだが,本当はそれぞれの家庭の出し汁の味があってもよいのではないかと思うのは贅沢なことであろうか。

教育の世界においても,同様のことがおきているのではないか。すでに用意された餃子の垂れのように完成されたものを生徒に与えているため,生徒の考える余地が少なくなっているのではないかと思うことが時々ある。一斉に物事を教えるとき,完璧に近いものを教えるほうが,生徒に分かりやすいのは当然である。ただ,教師があまりにも細かく指導をして,完璧なものを提供してしまうと,教師自らの工夫に自己満足を覚えることはあっても,生徒が自分で考える楽しみを見出すチャンスを奪ってしまうことになるのではないかと思うのである。

たとえば,英語で単語の意味を限定して教えることは初期の段階では大切なことである。しかし,学年を経るにつれて,このやり方は変えていかねばならない。つまり,自分で辞書を調べて単語の持つ様々な意味の中からその文に合う意味を特定していく楽しみを生徒たちに教えなければならないのである。学問のおもしろさは,調べることにあるのであって,覚えることばかりにあるのではないように思われる。

数学にしても,解法がいろいろあって,自分で解法を見出すことにほんとうの楽しみがあるのであって,解答を覚えることだけに楽しみを見出すことは難しい。

生徒がどのようにそれぞれの教科に立ち向かうのか,教師が生徒の学ぶ楽しみを奪い取ってしまわないよう,学年に応じた細かな配慮が必要となる。

餃子の垂れを各人の好みで作るのが,真にうまい餃子を食べることになる。それと同じように,教育も教師が適切な材料を提供して,あとは生徒にそれぞれ工夫させ,考えさせていくことが教科の学習に対して生徒に興味関心を抱かせることになるのではなかろうか。


2013年1月

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