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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第316回(わたしが影響を受けた人物(1))

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「教育とは卒業後の思い出なり」という名言があるが,人には誰でも,それぞれの小学校,中学校,高校を通して,一人ひとりの特別な思い出があるだろうし,それは,数え上げるときりがないのかもしれない。ただ,小,中,高の児童,生徒の生活で,思い出に残る人は誰か,人生に対して影響を受けた人物は誰かと問われると,急にその人の名が頭に浮かばないかもしれない。しかし,わたしの場合は,すぐに数名の恩師の名が頭の中に浮かんでくるのである。

今回の「ひとりごと」では,わたしが児童,生徒,そして教職について後に影響を受けた人物を紹介したい。

わたしは,小,中,高時代を瀬戸内海に浮かぶ忽那七島の一つ,興居島(ごごしま)で過ごした。それで,興居島が離島だという意識はわたしにはなかったが,小・中に赴任した先生方は離島勤務の苦労を味わったのではないだろうか。

島にある由良小学校1年の担任の先生は若い女性の先生であった。本を読むことを習慣づけてくれた先生である。幾冊の本を読んだかを,友人と競い合ったものである。おかげで,小学校の低学年の時期に読書の習慣が身についた。小学3年生の担任は年輩の男性の先生であった。担任のお手伝いをする中で,教員になりたいという気持ちになったのはこの時である。

4年生の担任は若い男性で,タバコが大好きな先生であった。当時は教員が教室で吸ってもよかったように記憶しているが,とにかくヘビースモーカーであった。煙のにおいがいやだったので,大人になってもタバコは吸わないと決めたのはこの頃である。

5,6年生の担任は若い熱血教師で,いろいろなことに挑戦させてくれた。市内の中学入試にも挑戦させてもらった。興居島に塾などあるわけがなく,受験勉強は学校で,この担任の先生が熱心に指導してくれた。入試結果から,算数や国語は十分に力を持っていたことが分かった。ただ,その他の科目は6年生の半年間で学んだこともあって,到底力は及ばなかった。しかし,チャレンジ精神を学んだのは,この担任からであった。

 興居島中学で最も印象に残っている恩師は,女性の音楽の先生で,入学時,中1の担任でもあった。1学期早々,「中村君,君はブラスバンド部に入部しなさい。」という一言で,部活動が決まった。小学校低学年の頃,楽譜が読めないため,音楽の成績が非常に悪かったことを今でも記憶している。そのような状況であったので,音楽が大好きというわけではなかったが,担任の一言でブラスバンド部に入部することになった。楽器はアルトサックスで,古いこともあって,指でキーを押さえていても,空気が漏れるのには閉口した。卒業した先輩がタバコの煙をサックスの中に吹き込むと,抑えたキーのすべてから煙が漏れていた。当然,いい音は出なかったが,肺活量が大きくなった。当時息を一度吸ってから,3分間は息を止めておくことができたほどである。

 


2013年1月

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