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チュータ日誌

チュータのひとりごと 第351回(利他 ―― 極楽と地獄(1))

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1月14日(土)の生徒への年頭挨拶で,初代校長,田中忠夫先生の言葉,

「利己心・享楽心・流行心よりの超越を志すこと」の中の「利己心よりの超越」に触れ,利己心の反対の意味を持つ利他的な心が世界的教養人を目指す者にとって,必要不可欠であるということを伝えた。

昨年の夏休み中に,大山泰弘さんの著書「利他のすすめ」を手に取る機会があり,12月に稲盛和夫さんと瀬戸内寂聴さんの対談集「利他」(人は人のために生きる)を通読した。

対談集「利他」の中で,稲盛和夫さんが老師から聞いた話として,地獄と極楽の違いについて次の話を紹介している。

―― 実は地獄と極楽は,見た目だけからしたら,それほど違いはないそうなんです。どちらにも,大きな釜に美味しそうな「うどん」が煮えている。そして,みんなが1メートルもある長い箸を持っている。

地獄の住人は,われ先にと箸を突っ込んで食べようとするんですが,箸が長すぎて自分の口にうまく運べず,そのうちに,他人の箸の先のうどんの奪い合いを始めてしまう。結局,ちゃんと食べられなくて,うどんを目の前にしながら,誰もが飢えて痩せ衰えている。

ところが極楽では,誰もが箸で掴んだうどんを,向かい側の人に先に食べさせてあげている。だから全員がうどんを食べられて,満ち足りているというんです。――

実に分かりやすいたとえ話で,わたしも以前にこの話を聞いた記憶がある。世の中が助け合いの仕組みになっていることを,見事に説明している話だと思う。

この話はあの世での地獄と極楽の話ではなく,この世での人間の生き方を説いた話だとわたしは考えている。

つまり,あの世ではなく,わたしたちが暮らしているこの世に,また,これから人が生まれかわり出かわりして暮らすであろう未来の人間世界に地獄と極楽があるのではないか。

この世を地獄にするか,それとも極楽にするか,それは,人の心の持ち方によって決まるような気がする。身体は自分の自由にはならないが,心はどのようにでもつかえる。心の持ち方によって,この世が極楽になったり,地獄になったりするのではないだろうか。


2013年1月

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