チュータ日誌

(2018/05/09)トマス・アクィナスに学ぶ

本日は大きなイベントもなかったので、すこし趣向を変えて、ドミニコ修道会のことについて紹介します。

ドミニコ修道会において「聖トマス」としてまつられている「トマス・アクィナス」の主著とされる『神学大全』を引用しながら、ドミニコ修道会の教えについて学んでみたいと思います。

 

1.トマス・アクィナスの生涯と『神学大全』

 

 

トマスは1225年頃、ローマとナポリのほぼ中間、ロッカ・セッカの山城で領主アクイノ家の三男として生まれました。5歳になると、モンテ·カシーノのベネディクト会修道院にあずけられ、そこで初等教育を受けた後、ナポリ、パリ、ケルンで学びましたが、ナポリ大学在学中に家族の強い反対をなんとか押しきって「説教者修道会」(通称ドミニコ会)に入会しています。

 

その明晰さを認められ、1256年にパリ大学神学部の教授となり、パリ、ローマ、ナポリで教えながら、神学や哲学に関する様々な論文や著作を発表し、冷静で頭脳明晰な論客としても活躍しました。

 

1272年頃からはナポリで著作に専念し、その思想の集大成に努めました。

 

1274年、教皇から第二リヨン公会議への出席を要請されたトマスは、健康状態が優れなかったものの、これを快諾しリヨンへ向かいましたが、その道中で体調を壊し、そのまま、生誕地からほど近いフォッサノーヴァのシトー会修道院で死を迎えました。

 

彼の主著と位置づけられる『神学大全』は、1265年頃から書かれはじめたとされており、第一部では「神について」、第二部では「人間の神へ向かう動きについて」、第三部では「キリストについて」、それぞれ論じられています。

各部では、数多くの宗教的問題が述べられており、「……であるか」という問いの形をとる項から成り立っています。

 

2.問いに対するトマスの答えとその教え

それではトマスの教えを具体的に見てみましょう。

神が存在するということは自明的なことがらであるか」という問いに対する、トマスの答えは次のようなものです。

 

 

自明的なことがらとは、「それの認識が本性的な仕方で我々のうちに内在しているごときことがら」であり、

「神が実在するということの認識は、万人に本性的に植え付けられている」のであって、「それゆえ、神が存在するというのは自明的なことがらである」。

「アリストテレスも、(-中略-)、こうした性格(のもの)を、論証の第一基本命題に帰属せしめている」。

「(神の存在を疑うなどして)真理の存在を否定する者は、真理の存在を容認しているからにほかならない」

真理が存在するということは自明的なことがら」であって、「ヨハネの福音書に『我は道であり、真理であり、生命である』とあるがごとく、(神は)真理そのものであり給う」。

 

(・・・当然ですが、神の証明については何百ページも紙面が割かれていますので、上記のものはその中のごく一部にすぎません)

 

3.小括

いかがでしょうか。上記の説明では、ほとんど同語反復のようで論証になっているのかどうかわからない、と受けとる人もいると思います。

 

しかし、宗教的な真理について、問いを立てて、それに答える形によって、討論を通じて解き明かそうとしたトマスの取り組みは、「スコラ神学」とも呼ばれ、

これによってトマスは、中世ヨーロッパのキリスト教世界を支える普遍的な神学体系を構築したとも評価されています。

 

また、トマスが神の自明性を論証するために、われわれにとって明白な経験的事実を提示することから出発して議論したところには、大きな意義があるとされています(専門用語でいうと「ア・ポステリオリ証明」といいます)。

 

4.今後について

トマスの『神学大全』で取り上げられている問いは、上記の他にも多岐にわたり、それぞれついて膨大な論証がなされています。

『神学大全』の訳書は、愛光学園の図書館にも蔵書がありますが、じつに45巻にもわたっています。

 

今後も、機会があれば(また、この日誌を読まれた方々の反応が悪くなければ…)、

「トマス・アクィナスの教えに学ぶドミニコ修道会の思想」について学ぶ回を設定できれば、と思います。

 

5.引用・参考文献

高田三郎訳『神学大全 第1巻』(創文社)1960

絵画の写真は「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より

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