本日も先週に引き続き、聖ドミニコの生涯について紹介していきます。
大学に進学したドミニコが、どのような勉強をしていたかについて、もう少しくわしくみてみましょう。
14歳ころにパレンシアの学校(後のスペイン初の大学)に進学したドミニコは、中世紀の古典の3学科(文法、修辞学、弁証学)と他の4学科(算術、幾何、天文、音楽)の、いわゆる「自由7学科」を学んだものと思われる。
ドミニコは、文法、弁証法を学んだ後には「哲学」に力を入れ、他のものについてはそんなに時間をかけずに終わったようだ。「彼は、それで十分だと判断すると勉強をやめた」と当時のドミニコの友人は語っている。一般には7年くらいかけて学ぶこれらの勉強を、ドミニコは6年くらいで終えたらしい。
教養学科を学び終えたドミニコは、その後の4年間、非常な熱意をもって神学と聖書を学んだ。この間、彼は夜もわずかしか眠らずに、昼間の講義に耳で受けた真理を、夜間は心に育んだといわれている。
その頃、ドミニコは自分の家に住んでいた。パレンシアに住みはじめた頃は、誰か司祭のもとに居たかもしれないが、神学を学ぶ頃にはもう自分の部屋、自分の本、自分の家具を持っていた。ここで彼は自由に思いのままに、眠るのも忘れて勉学に打ち込むことができた。
また、自己に厳しく、カスティリア人なら旅行にも持ち歩くほど好きな、葡萄酒(アルコール)を断った。それから10年間、のちに胃の病の緩和のために葡萄酒をとることをすすめられるまで、彼は禁酒を続けた。
当時の聖書の勉強法は、教父たちによる聖書註解(聖書本文の意味や真理について解説した書物)を学び、また、教授の原文分析を聞くものであった。
時に教授は、問題点を質問の形で出し、学生たちに討論させた。ドミニコの知性は、このようなときに特に際立って輝いていたという。
授業の終わりに、教授は授業内容を短い説明文にまとめる。ドミニコはそれを自分のノートに書きとめて帰り、自室に大切に保管してある羊皮紙を開き、そこに書き写された聖書の原文の行間に、丁寧に自分で書き込んだ。
こうして、彼は、神のことばとその註解を書き込んだ宝を持っていたのである。
たしかに彼はひとりで過ごす時が多かった。若者にしては「若年寄」で「おとなしすぎた」との記録もある。しかし他者に対して自分を閉じていたのではない。ひとりで祈るとき、彼は祈りの中で他者と共にあった。
それは、ある事件によってあきらかになることになる。
マリ・ドミニク・ポアンスネ 著 岳野慶作 訳 「聖ドミニコ」 サン・パウロ 1999
スール・マリア・ベネディクタOP 「聖ドミニコの生涯」 1989 聖ドミニコ学園後援会(非売品)
ペドゥロ・フェルナンド 「聖ドミニコ伝」( J.G.バリエス「星に輝く使徒」1960 所収)
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