本日も聖ドミニコの生涯について、3週連続で紹介していきます。
大学に通い、寝る間も惜しんで勉学に励んでいたドミニコでしたが、ある事件をきっかけに、大学関係者やカトリック関係者に広く知られることになります。
彼の人生で最初の奇跡として記録されている事柄なのですが、さて、学生ドミニコはどのようなことをしたのでしょうか。
そのころすでに沈黙と孤独とを愛していたドミニコは、自分の部屋を借り、そこで、この上もなく簡素な生活を営み、夜の一部分を好んで勉学にあてていた。
彼の唯一の宝は、羊皮紙の上に写した聖書の写本であった。これは、彼にとって、ちょっとした財産であった。しかもこの道の大家たちの解釈を注として書き添えたこの写本は、彼の個人的な研究にとって、かけがえのない道具となっていた。そのため、金銭で値踏みすることができないほど、きわめて貴重なものであった。
その頃、スペインでは再び回教徒(サラセン人)との戦いが始まっていた。
さらに、キリスト教の国同士でも戦っていた。多くの兵士が殺され、あるいはサラセン人の捕虜となった。
多くの難民が北へ北へと逃げて来て、すでに飢饉(ききん)にあえいでいたその地方の人々の生活をさらに苦しいものにした。ほとんどスペイン全土にわたるひどい飢饉となった。
ドミニコは人びとが飢えで死んでいくのを見た。富める人たち、権威者たちはそしらぬ顔だった。ドミニコはこれを黙って見すごすことはできなかった。
貧者の苦しみに心を動かされたドミニコは、死んでいく人たちを救おうと決心した。
彼は、自分の持っていた貴重な写本とその他の持ち物を全部売り、施物所を設けて貧しい人たちに毎日食物を配りはじめた。
彼が、自分の手で註解を書き込んだ羊皮紙の聖書を売ろうとしたとき、彼の友人たちは貴重な写本が売却されようとするのを見て、驚き嘆いたという。
そのときドミニコが言ったという言葉が伝えられている。
「私は、多くの人びとが飢えて死んでいくとき、死んだ皮の上で勉強していることはできない」
この行為は他の神学生や教授の心を動かし、この青年に比べて自分たちが卑怯で欲深いのを悟って、きわめて多くの施しをおこないはじめる者が出てきた」と証言が残っている。
ドミニコは、夜も眠らずに考え味わってきた聖書の言葉を、そのまま生きたのである。
多分この同じ時期に、ひとりの婦人が泣きながらドミニコを尋ねてきた。彼女の兄弟がサラセン人に捕らえられているというのである。
「愛に駆られ、同情にあふれて、ドミニコはその兄弟を買い戻すために自分自身を売ろうとしたが、主はそれをおゆるしにならなかった」と記録は語る。
もう本も家具もなくなったパレンシアの簡素な部屋で、ドミニコは自分の生命の意味を発見したのにちがいない。
飢えた人びとに食物を与え、自分自身までも与えること――。
しかし主は彼にそれをゆるさなかった。このしばらくのち、彼はもっと多くの飢えた人々を救うための使いとして送られることになる。
神のみことばに飢えた異教徒たちのもとへ――。
スール・マリア・ベネディクタOP 「聖ドミニコの生涯」 聖ドミニコ学園後援会 1989(非売品)
マリ・ドミニク・ポアンスネ 著 岳野慶作 訳 「聖ドミニコ」 サン・パウロ 1999