もうすぐ創立70周年を迎えようとしている愛光学園の歴史について、創立当初からふり返ってみていく記事を不定期でアップしております。
前回の記事では、「中間体操」についてご紹介しました。
今回は、愛光創立当初のカリキュラムについてご紹介します。
優秀学生の養成、優秀大学への進学の目的のために、学園では開校後もカリキュラムの設定などに全精力を傾注した。
様々な先進校を視察するなどして得られた資料から、最善の授業方法を追求した。
また、生徒の能力を十二分に伸ばそうと、教師も体当たりで授業に臨んだ。
授業スピードは速く、中学2年で中学の課程を終え、3年から高校課程に入る。
高校は3年生の一学期で高校課程を済ませ、2学期から演習を中心とする総復習で入試に備える、という段階を踏む。
1955(昭和31)年7月4日、「愛光高等学校」設立が認可され、翌年度から高校部が発足した。1958年4月には中学3学年、高校3学年の体制が整う。
学習面での基本的姿勢は、
①中学·高校教科の計画的編成
②系統的知識の習得と原理の理解の徹底
③英語·数学·国語の三基礎学科を重視する
④社会倫理科を設ける 、というものであった。
当初、英語は週8時間、国語・数学は週6時間で、公立の中学に比べ11倍ともいわれるほどの時間を割いた。
その後、時間数に変動はあったが、基本的には英語・国語・数学に重点を置いた。この方針は現在も継続しているものである。
社会は、「広く浅く」の社会科ではなく、歴史、経済、地理とを区別して教えた。
原理の理解という観点から理科の実験も積極的に行われたが、大学レベルの専門的な実験も行われた。
芸術は、美術史を講義するとともに、水彩でなく油絵とするといった具合だった。
これらのカリキュラムは、完全に公立校とは一線を画すものであり、学園設立の趣旨である”世界的教養人の育成“と「優秀大学への進学」の理想を追求する内容となっていた。
学園では、のちに公立校と同様の教科書を使用するようになるが、教科書で不十分なところはノートで補う手法を取るようになる。
濃密な授業のため、休むとペースについて行けなくなることから、休む生徒がほとんどいないという現象を生んだ。
教師が一度授業で説明したことについては、別の授業で同じことを繰り返して説明することはないため、一回一回の授業で集中力が培われ、精神面をタフにする鍛錬ともなった。
「愛光学園50年史」 愛光学園 発行(2002)