チュータ日誌

(2019/06/17)【番外編】大宝寺・岩屋寺巡礼

●今日は快晴

月曜である。

土曜とはうってかわって、昨日・今日は快晴だ。砥部ZOOのアナグマもこの姿勢で10分以上静止していた。

●16期は行く!

今回は16期生のツアー企画である。5月のGWのある日、久万高原町の道の駅から、44番札所大宝寺・45番札所岩屋寺に行き、また道の駅にもどってくるのである。昨年、一昨年からの3年越しの巡礼シリーズである。片道10km、往復で20kmの行程である。

朝9時30分、道の駅を出発する。四国巡礼は3年連続の企画であるが、2年前、8月に松山市内の巡礼を実行し、熱中症寸前になったため、5月開催となった。

久万高原町には「おこう饅頭」と「おくま饅頭」とがあり、どちらもそっくりなのだが、それはなぜかは、いまだにわからない。

とにかく、最初の目標の大宝寺をめざす。向こうの山の中にあるはずなのだ。

舗装道から分岐し、左の山道に入る。

着いたと思ったら、石段攻撃だ。

はあはあ言いながら、やっと到着だ。午前10時。ここで帰っても、個人的には何の問題もなかったが、口にはださなかった。

友人Sが納経所からでてきた。

彼は四国巡礼のプロであり、すでに1人で四国を2周しているのだ。御朱印をみせてもらう。なんとなく、美しい。

ここから、本格的に山に入っていく。

ときどき、小さな花を見かけるのだが、残念ながら名前がわからない。

途中、広い舗装道にでてほっとしたら、

すぐに山道に分岐である。巡礼は厳しいのだ。

集落に遭遇する。

午前11時15分。たぶん巡礼者用の休憩施設と思われる施設があった。

屋根とベンチがあるだけで、相当うれしい。おにぎりを食べる。ここから松山に引き返しても、個人的には何の問題も無かったが、やっぱり口にはださなかった。

そばに看板があった。

拡大するとこんな感じ。下の大宝寺から現在地まで来たのだ。あとは、上の岩屋寺をめざすのだ。

出発する。すでに足は相当重い。

いい感じの里山を歩く。だが、疲れた。

ふと、横をみると、ふるさと村の看板がある。そういえば、昔、遠足で生徒を連れてきたことがある。そのときはバスだった。文明は大切です。

おまけに容赦ない、この傾斜である。アキレス腱と太ももと、足裏の肉球が痛い。

八丁坂まで、あと1.2km。この言葉の意味をこのときは知らなかった。

ついでに、この花の名前も知らなかった。「小さな花2」である。

12時30分。とうとう八丁坂入口にたどりついてしまった。看板によると、「霊場中、最も修行に適した場所」らしい。うーん、ひょっとして・・・

とんでもない道であった。上りから下りになり、もう終わりかと思うと上りがまたやってくる。まちがいなく、修行に適している。上り下りは、各1回ずつにしてほしい!恥ずかしいので、叫びはしなかった。

13時40分、やっと、岩屋寺周辺にたどりつく。

なんだか、奇妙な場所だ。なぜ、ドアがある?

近くの看板には、この岩場を鎖と梯で登る修行場だと書いてある。見なかったことにして、通りすぎる。

14:00岩屋寺到着。この岩場の上に、さっきの修行場はでてくるにちがいない。

ほっと安心したついでにおみくじを購入。中身は秘密である。

参道をどんどん下る。下から登ってくる人が多数いて、これはしんどそうだった。

令和Tシャツが販売中だった。白地なのが巡礼っぽくていいかも。空海だったら、買うんだろうか?

帰りの10kmは山道ではなく、国道っぽい、舗装銅を歩く。楽かな~と期待していたが、甘かった。微妙な上り坂が、かなり意地悪である。

ここのトンネルは歩動があったが、もう一つは歩動なしのトンネルで、対向車両に命を託すしかなかった。

途中、国民宿舎を発見。休憩する。

地獄にアイスとは、このことである。

午後6時、久万高原町の道の駅に無事帰還。8時間半の行程であった。一応これで3年間かけて、44番札所大宝寺から53番札所圓明寺まで攻略したことになる。果たして、寿命のつきるまでに88箇所の完全攻略は達成するのか、それは誰にも分からない。乞う、ご期待!

 

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