チュータ日誌

(2019/10/28)よみがえる愛光の歴史(宮西新校舎建設)

はじめに

先週に引き続き、愛光学園の歴史についてふり返ってみましょう。

前回の記事に引き続き、宮西の校地拡張と新校舎建設についてご紹介します。

 

新校舎建設の必要性

当面は城西高校の校舎を使用するにしても、年を追うごとに学級数は増加するわけで、高校部が3学年そろう1958年には、特別教室以外に普通教室を最低12教室確保しなければならないのである。

 

これらの必要を満たすため、新校舎は三期をかけて建築することとした。

校地の北側に連なる校舎を撤去しつつ、東側から順次建築するというものだった。これに要する費用はドミニコ会の資金援助を受けた。

 

第一期工事

第一期工事は1955年9月に着工した。

鉄筋コンクリート3階建てで、延べ約295坪の校舎である。

定礎式は理事長ビセンテ・ゴンザレス神父の司式のもとで同年10月に行われた。

 

新校舎は翌1956年5月に完成した。

 

落成祝別式は教皇使節フルステンベルグ枢機卿によって執り行われ、祝賀会も催された。

 

新しい施設は普通教室4教室と化学・生物教室や実験室など特別教室5教室であった。

 

第二期工事

第二期工事(本館部分) 東側の新校舎に連なる形をとる第二期工事は、1957年8月に着工した。

この工事は、いわば本館部分で、鉄筋コンクリート4階建て。 設計は理事長のマルシャノ・ディエス神父によるものだった。

 

第一期~第三期工事の中央部に位置する本館は、翌1958年2月に完成した。

1階に事務室、応接室など、2階に理事長室、校長室、 職員室が配置され、3・4階に普通教室5教室が置かれた。2階部分には校旗掲揚のためのベランダも設けられた。

 

第三期工事

第三期工事(鍵型の構造) 校舎整備最終計画に当たる第三期工事は、校地西側の木造校舎を撤去して1959年9月に着工した。

完成は翌1960年4月。鉄筋コンクリート3階建てで本館に連なり、さらに南へ突き出す鍵型の構造となった。

1階に図書室、養護室など、2階に物理教室、普通教室、3階は普通教室という構成。

 

第一期から三期までの建築費用は約7300万円。

これで特別教室が一応整備され、普通教室も合わせて15教室となり、当面の必要を満たす建築を終えた。

 

 

三期をかけた校舎は薄い緑色で彩られ、他の学校と一味異なる印象を松山市民に与えた。

 

参考文献

「愛光学園50年史」 愛光学園 発行(2002)

 

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