第3学期始業式の講話から一部を抜粋して掲載します。
今日は月刊誌「致知」の中に,同志社大学生命医科学部客員教授,グリーンテック社長,杉本八郎氏の「アルツハイマー型認知症の根本治療薬開発に懸ける人生」と題してのインタビュー記事が掲載されていたので紹介しましょう。
わたしが感動したのは,新薬開発の話ではなく,杉本氏の研究者としての原点が母親の後ろ姿であったということです。記事の一部を紹介します。
―― 母は本当に苦労人でした。父が戦後事業に失敗し,母は昼間はガラス工場,夜は内職をしながら9人の子どもを育ててくれたのです。その母の苦労を知っているので,きょうだい全員が何としても親孝行したいと思っていました。そのため社会人になると,皆が封を切らずに給料袋を持って帰ってくる。母親はそれが自慢だったようで,いつも仏壇に並べていましたね。――
わたしはこの記事を読んで,同じような体験をしたことを思いだしました。
いつも皆さんに申し上げている通り,わたしは瀬戸内海に浮かぶ忽那七島の一つ,興居島で18年間を過ごしました。戦後,食べるものに不足する中,お寿司やお米のご飯をたらふく食べることができればなあと,いつもお腹を空かしていたことが記憶にあります。牛乳は病人の飲み物,バナナなどの果物は高級品で手に入ることはありませんでした。
わたしは男3人兄弟でしたが,母親は3人の息子を大学へ送ることを楽しみに,貧しい中,家業に精を出し夜遅くまで働いていました。この時代の人たちは多くの人たちが生活に苦労をしていたように思います。
わたしも母親の苦労を知っていましたので,東京町田市にある玉川学園に教員として赴任後3年間,毎月の給料をすべて母親に送りました。「それで生活ができるわけがない。」と言われるかもしれませんが,わたしは赴任したと同時に,英語科の教員兼寮舎監という立場にあったため,住居費も食費も一切かからなかったので,給料袋の封は切りましたが,全額家庭に送ることができたのです。ただ,時にお金が必要になると送り返してもらったこともありました。
また,24時間生徒と一緒に生活をした4年間の経験から得たものは大きく,今自分が教員を続けていることができるのは,この学校と寮の生活があったからだと思っています。
皆さんもわたしたちの世代と違った形ではありますが,保護者から並々ならぬ恩恵を受けています。このことを忘れないでいただきたい。親孝行は古い日本のしきたりではありません。今も厳然として残存している徳性を磨く,愛に満ち溢れた行為であります。アインシュタインの「人間は他人のために存在している。」,この他人をまず両親と置き換え,そして次々に身近な人に置き換えてみてください。そして,最後に,奇しき縁(えにし)によって同じ地球上で暮らしている見知らぬ人たちのために人間は存在しているとなった時に,初めてこの言葉が光を放つのだと思います。
最後に62期高Ⅲ生の皆さん,この後も,1日1日努力を重ね,さらに実力を伸ばし,十分な態勢で本番のセンター試験,そして2次試験に臨んでくださることを願って3学期始業の挨拶とします。