九州地区同窓会の第1回設立総会が福岡市内の新幹線博多駅近くのホテルで,4月6日(土)に行われた。
この計画を初めて聞いたとき,4月6日には年度初めの職員会議が予定されており,参加が不可能であると思っていた。年度初めの職員会議は午後4時までかかることが予想されていたからである。
同窓会の開始時間は午後6時30分,飛行機で出かけても間に合わない。ただ,わたしの挨拶の時間が午後7時からということが分かり,もしかしたら,ぎりぎりで間に合うのではないかと急遽参加することにした。そこで,同窓会担当教員が午後5時台の飛行機を手配してくださり,飛行場からはタクシーでホテルに向かうことになった。
飛行機の運航時間はスケジュール通りで,飛行場からはタクシーで会場に向かった。ホテルに到着すると,すぐに会場に入るようにとの連絡があり,急いで入場した。入場すると,同窓会長の挨拶の途中で,司会者から,次に挨拶をするようにと案内があった。
もちろん挨拶の内容については,用意をしてはいたものの,心の準備ができないまま,壇上に立った。
挨拶の切り出しは次の通りである。
――「教育とは卒業後の思い出なり」といいますが,愛光学園,1期生から60期生まで,脈々と続く思い出は,初代校長,田中忠夫先生が起草した「われらの信条」であります。
まず,信条の暗唱から始めたいと思います。――
ここで,「われらの信条」を暗唱させてもらった。普段から中1生と共に暗唱をしているので,最近では,途中で詰まるようなことはまずない。この日も,最後までスラスラと暗唱できた。暗唱が終わったとたん,大きな拍手が起こった。
同窓生にとって,「われらの信条」は人生の指針を示すものであり,中高時代に心の奥深く浸透している。その信条を呼び覚まされた感動が拍手になったのであろう。
挨拶の最後に,初代校長田中忠夫先生の第1回卒業式の式辞を紹介した。これも終わると大きな拍手が起こった。そして次のように挨拶を結んだ。
――「われらの信条」で示されている古き良き伝統を大切にしながら,change と challenge,変革と挑戦を続けていく学校でありたいと考えています。今後も,同窓生の皆様の絶大なるご支援をお願いします。――
挨拶の途中で,「チュータ!」という大きな声援が聞こえてきた。教え子の同窓生と出会うと,「チュータ先生!」から会話が始まる。ありがたいことである。
この日は,九州地区の同窓生の燃えるような情熱を肌で感じた1日であった。
総会が終わって,2次会,3次会と続いたように聞いているが,わたしは,翌日に中1寮生の入寮式が控えていたため,声をからしてしまうことがあってはならないので,失礼をした。本当のところは,同窓生の皆さんと,ゆっくり話をし,近況を聞いておきたかった。これは,次回の楽しみにとっておくことにしたい。
翌日,早朝に学校からスマホに電話が入った。松山に暴風警報が出ているとのことである。午後1時30分から始まる中1寮生の入寮式に,何としても帰松せねばならない。飛行機は暴風警報下では,欠航であろうと思い,予約便を入寮式の始まるぎりぎりの時間まで遅らせた。ところが,警報を心配してくださるメールを受け取った直後,警報が解除されたという連絡を受け取った。あわてて,ホテルを出て,飛行場に向かい,空港到着後15分で出発する便に,駆け足でやっと間に合った。小さなプロペラの飛行機でかなり揺れたが,無事,松山空港に到着し,入寮式にも間に合った。
わたしは,自然現象がスケジュールに合わせて変わってくれることに,大きな喜びと感動を覚える人間である。しかも,そこに「祈り」が込められている場合はなおさらである。今回は,当日の入寮式,そして,翌日の入学式が控えており,スケジュール通りにいくかどうか,冷や汗をかく状況だったので,到着時に,「ありがたい!」という言葉が思わず口をついて出た。