わたしの生まれ故郷が瀬戸内海に浮かぶ「忽那諸島」の一つ、「興居島(ごごしま)」であることは以前から何度も触れてきた。
以前に「忽那七島(くつなしちとう)の一つ」と述べたことがあるが、厳密には興居島は忽那七島には所属しない。忽那七島とは「中島」「野忽那島」「津和地島」「二神島」「怒和島」「安居島」「由利島」を指すとのことである。
毎年、8月の中旬に家族そろって興居島へ墓参に出かける。
今年もフェリーに車を載せて由良港に向かった。8月の中旬は「お盆」の帰省と観光客の利便性を考えて、船会社は臨時便を出して対応している。
興居島への航路は2本あり、船は泊(とまり)港にも向かう。学校の夏休み期間中は海水浴客でにぎわっている。
最近、島の活性化が図られていて、港の真ん前にある「しまの駅」やコーヒーショップ、さらにはうどん店、また、クラフトビール店、民宿等、若い人たちが中心になって島が活気づいているように見える。
墓参を終えて港に戻ると、東京から帰省していた孫が釣りがしたいと言い出し、熱中症を恐れながらも付き合うことにした。釣り具は「しまの駅」で一式借りることができた。有料ではあるが、エサを含めて全てが用意されていて驚いた。
釣りは子どもの頃、ほぼ毎日岸壁から釣り糸を垂らしていたためか、大人になって全く興味を持たなくなってしまった。昔の竿は竹で、スジ(釣り糸)も現在のような細いものではなく、かなり太いものであった記憶がある。あれでよく魚が釣れていたものである。エサの「カタムシ」を釣り針に通すのだが、これはどうやら今でも投げ釣りで使われているらしい。「カタムシ」は興居島の方言で、一般には「ゴカイ」と呼ばれている。
今回の釣りは「サビキ」である。エサは「ジャミ」と呼んでいるが、正式名はよく分からない。防波堤の突端まで行って早速釣りを始めたが、小さなハゼやメバル、フグ、サヨリなどが岸壁に集まっており、目でも確認できる。その下にいる中型の魚を狙うのだが、アタリはない。
突然、引きがあったようで、よく見ると、サバの子どもが小さな群れをなしてやってきているのが目で確認できた。一度に3匹のサバがかかっていたが、2匹は途中で落ちてしまった。
釣りをやっている人はよく知っていることであるが、サバの子どもはありがたくない。なぜかというと、サバの動きがあまりにも早いために釣り糸がからまってしまうからである。できればアジに来てもらいたいと願っているはずである。
釣りを終えて、「しまの駅」で休んでいると、「みちろうちゃんじゃない?」という声に驚いた。小学生の時に、共に書道を習っていた後輩である。島でのつながりは、島に生まれた者の誇りである。しばらく昔話に花が咲いた。
現在、本校に通う生徒たちは、何十年か経過したあと、「愛光学園」で共に学んだことが大きな思い出となり、共に過ごしたことを誇りに思える日が必ずやってくる。
自宅生はもちろんのことであるが、寮生の場合はもっと深い絆で結ばれるに違いない。
出会った時に、生徒の時に呼び合っていた呼称がそのまま同じトーンで声に出る。
同窓生であったことがいかにありがたいことかということが分かるのは、何歳になった時であろうか。
「教育とは卒業後の思い出なり」、名言である。