これまで,中・高別に午前と午後に分けて中学入学式と高校入学式を行ってきたが,今年度から中学・高校の入学式を合同で実施することにした。
宣誓文を中学生代表と高校生代表の二人が述べた。息がぴったり合っていて,落ち着いた,気持ちのこもった宣誓であった。
入学式の式辞を2回に分けて紹介したい。
中学・高校入学式式辞
平成26年4月8日
(冒頭挨拶 省略)
まず,皆さんが中1生,そして,高Ⅰ生として入学した愛光学園はどのような学校であるのかということについて触れてみましょう。
学校長の重要な仕事の一つに生徒,教職員,そして保護者の皆様に学校の「建学の精神」を伝えることがあります。
日本の私立学校にはすべて「建学の精神」があり,何のために学校を設立し,どのような生徒を育てたいかを明確に示す「寄附行為」というものがあります。本校設立時に愛媛県に届け出ている書類には,次のように書かれています。
――この法人は,カトリック精神に則り,カトリック聖ドミニコ修道会の教育方針に従って,教育基本法及び学校教育法に示す学校教育を行い,世界的教養人を育成することを目的とする。――
であります。
学校創設にかかわった愛光学園創立者の聖ドミニコ修道会シルヴェストレ・サンチョ管区長や,ヴィセンテ・ゴンザレス初代理事長,そして,初代校長田中忠夫先生が学校創設に関して,どのような考えを持っていたのかということについて触れてみたいと思います。
初代理事長ヴィセンテ・ゴンザレス神父様は,学校設立の根本的精神について,
―― カトリックの精神に則り,ドミニコ会の精神に従って,道徳的な点に力を入れて,新時代の日本にふさわしい全人教育を青年たちに与えるということ。このことを学校の基本方針にしたい。――
と述べています。
この創設の理念を受けて,初代校長田中忠夫先生が先ほど朗読された「われらの信条」を起草し,本校の1期生から現在まで,「建学の精神」として受け継がれてきているのです。
われらの信条を起草した初代校長,田中忠夫先生は,「世界的教養人」のことを,「社会が中等学校に期待している第1のことは,一流の難関大学にも入学し得るような深い知性と,世界のどこに出しても恥ずかしくないような高い徳性を涵養することであると考え,これをわれわれは世界的教養人という標語で要約した。」と述べています。
それでは次に,校名の由来となっている「愛と光の使徒」という言葉について触れてみましょう。
皆さんは「愛」というと体のどの部分で感じると思いますか。多分,胸を指すことと思います。胸は心でしょう。心は徳性を磨くところです。それでは,光と言えば体のどの部分を指すでしょう。多分,頭を指すと思うのです。頭は知性を磨くところです。
したがって,愛光学園は徳性・知性学園と呼ぶこともできるのです。
これらのことを考え併せると,愛光学園の教育の根本精神は,全人格的陶冶を目指しながらも,一段と高い徳性と一段と深い知性を備えた人物を育てあげることであります。
さらに,愛と光の使徒,人ではなく使徒とあります。
使徒というのは,磨かれた知性と徳性を自分で完結するのではなく,聖書に「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい。」とあるように,世の中に広く伝える義務を持つということになるでしょう。さらに付け加えれば,使徒とは,聖カタリナの言う「Charity for Your Neighbors隣人愛」,そして,アインシュタインの言う「We exist for our fellow-men.人間は他人のために存在する。」,つまり,「利他の精神」,「Give and Giveの精神」,「人の役に立つことこそ,幸せの精神」を持った教養人ということです。常に自分の周りの他人の存在を意識し,さらに,人様のためにということを考えることができる人間が使徒であろうと思います。
そして,大事なことは,若いうちに,人生において成し遂げたい大きな夢を見つけることです。そして,一旦,その夢を決めたら,そこから夢の実現に向けて,一歩一歩着実に努力を続けることです。まさしく,こつこつと続けることが何よりも大切なのです。もちろん,神様がその努力に対して一筋の光明を与えてくださるまで,身を粉(こ)にして努力し続けなければなりません。