毎年4月28日と29日の両日,都内のホテルを会場にして,カトリック学校の校長・理事長・総長管区長の集いが実施される。
今年も4月28日(火)と29日(水)にかけて,第28回の集いが開催され,全国からおよそ220名の校長・理事長・総長・管区長が参加し,熱心な集いが行われた。
特別の事情がない限り,毎年,ホアン理事長とわたしの二人で参加させていただくことにしており,今年も二人揃って参加することができた。
神父様方の講演,分科会と盛りだくさんの内容で,他校の理事長や校長と親しくお話ができる貴重な二日間である。
講演の中で,特に印象に残った部分を紹介したい。
本校の建学の精神,「世界的教養人と愛と光の使徒の育成」について,わたしは生徒,教職員,そして保護者,さらには同窓生に機会あるごとに触れている。
それが,校長の大きな役割の一つだと思うからである。
その中で,「愛と光の使徒」の「使徒」について,わたしは今年の入学式の式辞で次のように説明をした。
― さらに,「愛と光の使徒」,「人」ではなく「使徒」とあります。
使徒というのは,磨かれた知性と徳性を自分で完結するのではなく,聖書に「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい。」とあるように,世の中に広く伝える義務を持つということになるでしょう。さらに付け加えれば,使徒とは,聖カタリナの言う「Charity for Your Neighbors隣人愛」,そして,アインシュタインの言う「We exist for our fellow-men.人間は他人のために存在する。」,つまり,「利他の精神」,「人様に役立ってこそ人生」,さらにわたくしは英語の教員でありますから,「Give and Giveの精神」と言いますが,そのような精神を持った教養人ということです。常に自分の周りの他人の存在を意識し,さらに,他人のためにということを考えることができる人間が使徒であろうと思います。―
講演の中で,「使徒」は「キリスト」が遣わす「人」であるという説明があり,さらに,使徒職としての教育,つまり,「教育使徒職(educational apostolate)」という表現が紹介された。
わたしはこの「教育使徒職」という言葉を聞いて,はっと気づいたことがある。
それは,当たり前のことではあるが,生徒に使徒となるよう求めるだけではなく,教師自らも,「使徒たること」を目指す日々のたゆまぬ努力が必要なのではないかということである。