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(2017/03/05)チュータのひとりごと 第520回(第59回 卒業式①)

 卒業式の式辞の一部を2回に分けて紹介します。

 

 今日の卒業式という記念の日に,学問修養の意味について話してみたいと思います。

 初代校長,田中忠夫先生は「われらの信条」の中で,「学問に対する情熱と道義に対する渇望とはわれらの生命である。」と述べていますが,ではわたしたちは,何のために学問をするのでしょうか。

 哲学者であり教育者でもあった森信三氏は,「修身教授録」の中で,師範学校の本科生を対象に次のように述べています。

 ―― われわれは,一体何のために学問修養することが必要かというに,これを一口で言えば,結局は「人となる道」,すなわち人間になる道を明らかにするためであり,さらに具体的に言えば,「日本国民としての道」を明らかに把握するためだとも言えましょう。またこれを自分という側から申せば,自分が天からうけた本性を,十分に実現する途を見出すためだとも言えましょう。

 井戸水も,これを釣瓶で汲み出さなければ,地上にもたらして,その用に充てることはできず,また鉱物や鉱石もそのまま地中に埋もれていたんでは,物の用に立たないように,今諸君らにしても,たとえその素質や才能は豊かだとしても,諸君たちが真に学問修養によって自己を練磨しようとしない限り,その才能も結局は朽ち果てる外ないでしょう。

 ところでこの自己の天分を発揮するということですが,この天分の発揮ということは,実は単に自分のことだけを考えていたんでは,真実にはできないことであります。すなわち人間の天分というものは,単に自分本位の立場でこれを発揮しようとする程度では,十分なことはできないものであります。

 ではどうしたらよいかというに,それには,自分というものを越えたある何物かに,自己をささげるという気持ちがなければ,できないことだと思うのです。――

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