平成30年度の「チュータのひとりごと」を開始します。
まず,4月9日(月)に実施した中学・高校入学式の式辞の一部を2回に分けて紹介しましょう。
さて、今、日本の学びが大きく変わろうとしています。アクティブ・ラーニングの視点から、「主体的・対話的で深い学び」の実現を目指そうとしているのです。
学校教育の中で、「対話的」の部分は、これまであまり積極的な取り組みが行われていませんでした。そのため、教師と生徒の双方向、あるいは生徒同士の対話による授業が展開されることは少なかったのです。
こういった状況の中で、国は、「対話的な学び」の一環として、小学校に教科としての英語を導入し、外国語のスピーキング力の向上に力を入れようとしています。
なぜ、そのような取り組みが行われるようになったのでしょうか。
わたしはその理由の一つとして、多くの日本人が外国語で自分の考えを伝えるのが不得意であることに,国が大きな危機感を抱いているのではないかと考えています。
ウシオ電機会長の牛尾治朗氏は、沈黙に対する日本と欧米の認識と価値観の違いについて、月刊誌「致知」で次のように述べています。
―― かつて「男は黙ってサッポロビール」というコマーシャルが大ヒットしました。つべこべ言わずに飲み干すのは当然旨いからであり,日本では最高の賛辞と受け止められるでしょう。
しかしその考え方は,欧米では通用しません。具体的にどこがどう旨いのか,しっかりプレゼンテーションしなければ,相手によさを理解してもらえないのです。
日本には,自分が高邁な信念や理想を持っていれば,見る人は見ていてくれるはずという考えがあります。しかし欧米社会では,その信念や構想を,どれくらい他人に理解させ,納得させたかという量で価値が決まり,黙っていたのでは認められないのです。――
牛尾氏は、日本と欧米社会の、沈黙について、このように指摘しています。