過去のチュータのひとりごと

(2019/10/13)チュータのひとりごと 第600回(トイレ掃除)

 第475回の「チュータのひとりごと」で各学年の男子トイレを回って生徒と一緒に掃除をしている話をしたが,最近,トイレ掃除にあまり参加できていない。その反省と次へのやる気を起こすために,第600回記念となる記事にトイレ掃除を取り上げることにした。
 掃除は徳性の教育の一環であることは以前に述べた通りである。全人教育にとって掃除は労作教育と呼べるかもしれない。
 松下幸之助発言集に,「掃除ひとつできないような人間だったら,何もできない。皆さんは,“そんなことはもう,三つ子の時分から知っている”と思うかもしれないが,ほんとうは掃除を完全にするということは一大事業です。」という言葉がある。
 わたしは一大事業とまで言うつもりはない。まず,「自分たちが生活する場は自分たちで綺麗にする」,この当たり前のことを当たり前に行おうではないかという提言が校内掃除である。
 以前に「ごみ拾いは徳拾い」と生徒たちに語ったことがある。ごみを拾うためには,身体をかがめなければならない。つまり,頭を下げなければならない。ふんぞり返って,「傲慢」になりがちな人間が掃除の時には頭を下げて「謙虚」を学ぶのである。
 掃除の中でもトイレ掃除は別格である。トイレは臭いし,汚くなることがよくある。その中で小便器や大便器をブラシでごしごしこするのは,それほど気分のいいものではない。ところが,いい気分でない気分が一変して爽やかな気分になる瞬間がある。ブラシを使って便器がピカピカになった時である。また,詰まっている大小の便器の詰りが取れて水が見事に流れた時である。生徒たちの「おうー」という驚きの声には,もはや,汚いとか臭いとかという感情はない。
 時にはビニール手袋をし,便器の中に手を突っ込んで汚物を取ることも必要である。汚ければ汚いほど,綺麗になった時の歓声は大きい。
 最近,シンガポールの全ての小中高で学校掃除が義務化されたと聞く。もちろん,日本がお手本の一つである。周囲への思いやりや責任感を育む狙いだと聞いているが,素晴らしい取り組みだと思う。
 本校は全人教育をベースにして,知性と徳性の二本柱を打ち立てている学校である。徳性は放っておいて身に付くものではない。学校や家庭で身につけさせなければならない大切な人間の資質である。
 掃除によってどのような徳性が身に付くかは,チャレンジしてみて初めて味わうことのできることである。
 「まずはやってみようではありませんか。」という言葉で第600回記念を閉じたい。

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