過去のチュータのひとりごと

(2020/03/01)チュータのひとりごと 第615回(令和元年度62期卒業式式辞 一流と接しよ)

 今年度最終の「チュータのひとりごと」は本日の「卒業式式辞」です。
 新年度は4月12日(日)から開始する予定です。

            62期生卒業式式辞
 

 式辞

 新しい元号,令和を迎えて初の卒業式を迎えました。
 最初に新型コロナウイルスのため,皆さんを後輩たちとともに送り出すことができなかったことをお詫びします。
 親愛なる62期生の皆さん,皆さんは阪口学年主任を中心とする指導のもと,六年間あるいは三年間の蛍雪の功を積んで今日(こんにち)只今,本学園を巣立とうとしています。まことにおめでとうございます。
 また,この在学期間を毎日一喜一憂しながら,ひたすらにその成業を待ち望まれた保護者の皆様のお喜びは,いかばかりでありましょう。心よりお祝い申し上げます。
 皆さんにはことあるごとに,「世界的教養人」と「愛と光の使徒」についてお話してきました。
 本校の経営母体である聖ドミニコ修道会の主な理念は「神学研究」と「清貧の中での福音宣教」です。本校が「世界的教養人」「愛と光の使徒」を育てるために全人教育をベースにし,さらに知性と徳性の二本の柱を打ち立てているのはこの理念によるものです。
 さて,今日は「一流」ということについてわたくしの思うことをお話しします。
 わたくしの恩師でもある小原國芳先生がよくおっしゃっていたことで強く印象に残っているものに,「一流に接しよ」という言葉があります
 特に,小原先生は,芸術鑑賞において,常に一流と接することの重要性を説きました。さらに,コンサートや観劇では,必ずS席を指定するようにとおっしゃっていたことが印象に残っています。つまり,最高の席で演奏や舞台に触れて初めて真の一流に触れることになり,その結果,自らの感性が磨かれるという意味であったと理解しています。
 一流にもいろいろありますが,本校に身近なものを取り上げてみましょう。
 田中忠夫初代校長が「われらの信条」の中で述べる「世界的教養人」とは,「一流の難関大学にも入学しうるような深い知性と世界のどこに出しても恥ずかしくないような高い徳性を兼ね備えた人物」であると,皆さんに何度も話してきました。
 それでは,一流の難関大学に入学するのは何のためでしょうか。
 人生には様々な出会いがあります。その出会いという縁(えにし)によって結ばれることにより,人生が大きく変わることは世の中の誰もが認めることであろうと思います。
社会は人と人のつながりによって成り立っています。そして,このつながりが新しい社会を作り上げていくのです。
 一流の難関大学を目指す大きな理由の一つは,そこで一流を目指した人物と接することができるからであります。大学教授,そして仲間として接する学生が一流を目指した人たちの集団であることが,自分を大きく成長させる手段となりうるからです。
 ただ,一流の難関大学に入ったとしても,「学問修養は何のためにするのか」という目標を忘れては一流になれません。
 哲学者の森信三氏が述べるように,学問修養は「人となる道」,つまり「成人の道」を明らかにするためにあるのだということをしっかりと意識しなければいけないのです。
 また,一流になれない理由の一つに,自分が授かった天賦の才能を自分本位で終わらせてしまい,社会や他人のために用いていないことを挙げることができます。
 本校卒業後,皆さんの進む道は様々です。どの道に進もうとも,それぞれの一流を求めて,「Change & Challenge」(変革と挑戦) を重ね,さらに,自らが一流を作り上げる気概をもち,この地球上に足跡を残してくださることを願って餞の言葉とします。
 最後にご父母の皆様方に一言ご挨拶を申し上げます。
 本日をもって皆様とお別れすることは寂しい限りでございますが,どうか,ご子息・ご息女の卒業後も,末長く学園の将来を見守り,ご指導くださいますよう心よりお願い申し上げます。
 それでは62期生の皆さん,お別れです。愛光学園の卒業生として,聖ドミニコの理想,深い知性に裏づけされた信念と,清い人生観より生まれる高潔な徳性を兼ね備えた「愛と光の使徒」として世界に羽ばたいてくださることを期待し,それぞれの道での健闘と幸福を心よりお祈りいたします。

令和2年3月1日   愛光高等学校 校長 中村 道郎

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