わたしの故郷は松山観光港の2キロ先に浮かぶ忽那諸島の一つ,興居島(ごごしま)である。中学,高校時代を過ごした家は,瀬戸内の海風のせいであろうか,傷みが速く,取り壊さざるをえなくなった。
興居島には「泊」と「由良」という地域があり,この泊港と由良港から高浜港に向けた航路がある。
船は比較的小さなフェリーで,船の前と後ろがない珍しい船である。船には普通,船首と船尾があるが,瀬戸内海の近距離航路では,このように前と後の区別がない船が使用される。着岸が容易で,航行時間や燃料の節減にもつながる。
操舵室を見ると前後に舵がついているのでおもしろい。スクリューがどうなっているのか興味があるが,次回乗船したときに尋ねてみたい。
先日,所用で興居島に出かけた。新型コロナウイルス感染防止のため,客室には入らず,2階の甲板席にいた。船が進むとかなりの風が身体に当たり寒かったが,10月という時期だったのでなんとかしのぐことができた。
この航路では,船客は,乗船後に船内で切符を購入しなければならない。わたしはよくこの船を利用するので,回数券を購入しており,この日も,回数券の1枚を手に持って船員が切符の販売に来るのを待っていた。
ところが,港が近づいてもいっこうに船員がやってこない。おかしいなと思っているうちに船は港に着岸し,甲板から下船口まで降りた。
手に持っていた切符を船員に渡して,「切符の販売がなかったですよ」と告げると,「ああっ,すみません」と言ってわたしの手から恐縮しながら切符を受け取った。
下船してから考えた。あのまま,切符を渡さなかったとしても,きっと船員は気づかずじまいだったであろう。
中1のCLE2の時間にこの話を生徒にした。切符を渡さなければ,次回にその切符を使うことができるのだから,そうしたほうが得だったのではないかという考えである。
この時,生徒に伝えた言葉は,以前の「チュータのひとりごと」でも紹介した,「余れば返す足らねば差し引く,天の差引勘定ちゃんとつく」である。
船に乗せてもらったのだから,当然その代金は支払うべきものである。それを支払わずにおくと,これは天に借金をしたことになり,いずれ,どこかで差し引きがあり,「得」どころか「毒」になってしまうという考え方を伝えたのである。
しかも,心のどこかに「切符代を支払わなかった」という良心の呵責が残り,身体にも悪い影響を与えるのではないかと告げると,頷いている生徒が何人もいた。
本校は知性と徳性の二本柱を立てて進む学校である。正しいことを正しいこととして実行する深い徳性を身につけて世界に羽ばたいてもらいたいと願っている。