過去のチュータのひとりごと

(2021/02/21)チュータのひとりごと 第650回(砂浜と釣り)

 先週は興居島での「杉鉄砲」の話をしたので,続いて,興居島の砂浜と釣りについて話をしてみたい。

 島には水泳のできる砂浜がいくつかあった。
 わたしの家は4メートル幅の道路をはさみ,パラペット(波除)のない状態で海に面していた。引き潮になると砂浜が現れ,貝堀りを楽しむことができた。
 わたしの弟は,目をつむってどこまで行けるかと試していた時に,行き過ぎて海に落ち,父親に助けられたことがある。
 台風等の被害を防ぐために,テトラポットを積み重ねて防波堤を造ったり,フェリーの接岸のために砂浜を掘って水深を増す工事がおこなわれるたびに,砂浜が消えていった。島民の生活を守るためには仕方のないことであると思いつつ,砂浜があった当時の光景が懐かしい思い出として浮かんでくる。
 朝早く,新聞配達を終えて家の前の海を眺めると,透明度の高い海水の下に砂地が見え,そこにはチヌやボラ等の魚が悠々と泳いでいた。まさに水族館である。
 目視できるチヌやボラは絶対に釣れないというのが島民の常識であった。
 当時,燃料に使う「松かさ」を,松の枝にひっかけて地面に落とすための竹と金具で作った「ひっかけ棒」があったので,これを使ってタコを捕ったことを覚えている。
 「ひっかけ棒」の金具に布をつけて左右に動かすと,獲物だと勘違いしたタコが,棒を目指してやってくる。十分に近づいたところを見計らって,金具にタコを引っかけるのである。タコにとっては迷惑な話であるが,食糧難時代にあって,タコに助けてもらったと感じている。
 子どもの頃は,毎日,桟橋で釣りをしていた。
 竹の竿に太い筋糸を垂らし,針をつけ,かたむし(ごかい)をえさにするのだが,筋糸が太いので魚が危険を察知して釣れることはほとんどなかった。それでも,毎日釣りをしていたというから,よほど釣りが好きだったのだと思う。そのせいか,大人になってからは釣りに全く興味がなくなってしまった。小型船舶の免許を持ってはいるが,もう何年も操舵をしたことがない。
 興居島航路の船が発着する「高浜港」で釣りをしている人を見かけると,よく声をかけて釣果を尋ねる。子どもの頃の思い出が頭の片隅に残っているのかもしれない。
 この原稿を作成している2月14日(日)の「愛媛新聞」に,興居島小学校(由良小学校と泊小学校の統合)の自然保護活動が「全国最優秀賞」に選ばれたという記事が掲載されていた。
 島を愛する者の一人として,このような活動が表彰されることは,この上ない誇りである。この場を借りて,興居島小学校の皆様にエールを送りたい。

お知らせ
 次回の「チュータのひとりごと」は卒業式がおこなわれる3月1日(月)を予定しています。式辞の一部を紹介いたします。 

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