過去のチュータのひとりごと

(2021/03/01)チュータのひとりごと 第651回(63期生卒業式式辞(令和3年3月1日)(1))

 挨拶省略

 皆さんにはことあるごとに,「世界的教養人」と「愛と光の使徒」についてお話してきました。
 この二つの言葉を提唱した初代校長田中忠夫先生は大学卒業後,大正12年の4月に開校したばかりの松山高等商学校(現在の松山大学の前身)の教授として赴任されました。当時,北豫中学(現在の松山北高等学校)の教室を借りて授業を行っていたという記録があります。
 翌年の大正13年の2月には,司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する秋山好古先生が私立学校の北豫中学校長として着任しています。田中忠夫先生は大正12年の4月から2年間,北豫中学の歴史の教員として名前が掲載されている資料が見つかりました。
 つまり,田中忠夫先生は秋山好古先生と少なくとも1年以上の親交があったことになります。事実,秋山好古校長のことを偉大な校長先生であると述べていたという話が残っています。
 秋山好古校長は大正14年の3学期始業式の訓話で,私立中学校,北豫中学について,
「我が校をして将来イートン,ハーロー等の私立中学にも優るとも劣らざる様,有名なる私立中学校として,将来は世界の競争場裡に立ち,世界文化の開拓者たらんことを期し,益々勉励されんことを望む。」と述べています。
 田中忠夫初代校長も,「日本の旧制高等学校、英国のパブリックスクール的徳性と知性を備えた生徒を育てあげることを第一の目標とした。」と愛光20年史で述べており,秋山好古先生の影響を受けたことがうかがわれます。
 そして,秋山好古校長が理想とした私立中学校を愛光学園初代理事長ビセンテゴンザレス神父様と初代校長田中忠夫先生がこの愛媛,松山で実現したのです。それがこの愛光学園です。

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