過去のチュータのひとりごと

(2021/10/03)チュータのひとりごと 第670回(仲秋の名月と満月)

 昨年か一昨年かよく覚えていないが、仲秋の名月と満月の日が異なることがあると知って驚いた。
 今年の仲秋の名月は9月21日(火)であった。8年ぶりの満月であることをインターネットの記事で知った。
 わたしは瀬戸内海の島で育ったこともあって、満月と大潮とは生活に関係があるので、少年時代から月が意識の中にあった。
 特に台風がやってくる秋になると、大潮は大きな問題になる。
 子どもの頃暮らしていた家は、海岸から4,5メートルほど、つまり道路を挟んで海に面していた。波除もなく、大きな波が来ると、道路を洗うこともしばしばあった。
 台風が来ると、いつも祖母の家に避難した。暴風雨が終わり、帰宅してみると、あたり一面に海草が散乱していて、床下や周辺の道路が海水に浸かったことが一目瞭然だった。こうなると後片付けが大変で、特にトイレがくみ取り式だったため、とても苦労した記憶がある。
 停電もよくあり、ろうそくを常に備えていた。

 仲秋の名月の前日、散歩していると、東の空に真ん丸の月が現れた。実際にはほんの少し欠けているところがあったのだが、普段見る月の2倍はあるように見えた。「おっ、スーパームーンだ」という言葉が思わず口から飛び出した。それほど、見事な月であった。
 そして、しばらくして月と木星と土星が、直角三角形を天空に形作った。空を眺めていて、月が木星や土星よりも地球に近い、つまり、平面ではなく立体で見えたことに感動を覚えた。
 わたしが瀬戸内海に浮かぶ興居島(ごごしま)で生まれ育ったことは、この「ひとりごと」で何度も触れてきた。
 子どもの頃、島から夜空を眺めた時、星がいたるところできらめいていたことを記憶している。流れ星を見ながら願い事を伝えたこともなつかしい思い出である。七夕の頃になると、光る砂を天に散りばめたように「天の川」が見えた。
 街路灯などは一切なく、月が出ていなければ真っ暗で、星の光だけが目に入る唯一の明かりだった。人とすれ違っても、誰か分からないまま、「こんばんは」と互いに声をかけ合っていたものだ。
 仲秋の名月と満月を見て、そのような子ども時代の回想にふける時間を楽しむことができた。

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