生命誕生の神秘が仮に「宇宙の意志」であるとするならば、われわれはこの地球上に身体を借りて生きている、いや生かされていることになるのではないかと思えるのです。そう考えると、人間の体内の働きが自らの意志ではなく、「神業である」という理由がよく分かります。
わたしが「人間は生かされ生きている」と述べているのはこのような考え方から生まれたものです。
それでは「心」はどうでしょうか。
心は個々の人間の想像力の範囲内でどのようにでも使うことができます。
「宇宙の意志」は身体を人間に貸しておいて、なぜ心に自由(じゆう)を与えたのでしょうか。それにはきっと目的があったのではないかと推察するのです。
ここに「宇宙の意志」の偉大さを見るような気がするのです。
その目的とは、人間の心に自由(じゆう)を与えておいて、どのような個人や社会ができるのか、楽しみにしていたのではないかということだとわたしは思っています。
果たして、現在のわれわれの姿を見て、「宇宙の意志」は喜んでいるでしょうか。それとも悲しんでいるでしょうか。
その結論は皆さん、一人ひとりにゆだねるとして、「宇宙の意志」が愛光学園に求める使命が、「世界的教養人」、「愛と光の使徒」を育成することなのだとわたしは考えています。
ヘレンケラーの言葉、「Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others.」 (人生は胸躍るものです。最もワクワクするのは人のために生きるときです。)にあるように、「宇宙の意志」は人間が自分のためにのみ生きるのではなく、人のために、さらに自分を超えた何ものかに挑戦することのできる人間を待ち望んでいるのだと思うのです。
人生100年時代をどう生きるか、残り82年間をどう過ごすか、それは皆さん一人ひとりの、自由に使うことが許された心が決定する問題です。どの道に進もうとも、「Change & Challenge」(変革と挑戦) を重ね、さらに、自らが「道」を作り上げる気概をもち、この地球上に足跡を残してくださることが「宇宙の意志」の具現化であると申し上げて餞の言葉とします。
後略
今年度の「チュータのひとりごと」は今回をもって終了いたします。
来年度は4月10日(日)から開始する予定です。