過去のチュータのひとりごと

(2024/03/03)チュータのひとりごと 第757回(卒業式式辞)

 3月1日(金)に実施した卒業式式辞の一部を紹介したい。

 挨拶省略
 
 66期生は、昨年の5月初旬まで、コロナ禍の中で過ごしてきました。
 特に新型コロナウイルス感染回避のため、中3の研修旅行を中止せざるを得なかったこと、さらに、高Ⅱの修学旅行では最終的に飛行機を借り切る形で実施できたものの、最初の計画の出発前夜に中止になり、延期せざるをえなかったこと等、様々な我慢をしてもらったことを申し訳なく思っています。
 ただ、高Ⅰの2学期から新しい校舎で学習できたこと、また、高Ⅱの2学期以降に新体育館、カフェテリア、文化会館が竣工したこと、さらには「創立70周年記念式典」に参加できたこと、そして今年度の体育大会を完全実施できたことは、高校生活の素晴らしい思い出として残ることと思います。
 本日は新しい人生の門出を祝う記念の日でありますので、日頃感じていることを述べ、皆さんを送る激励の言葉にしたいと思います。
 教育学者である森信三氏は「修身教授録」の中で「誠」という言葉について、
―― 実は真実の道というものは、自分がこれを興そうとか、あるいは「自分がこれを開くんだ」というような考えでは、真に開けるものではないようです。
 同時にこの点は、実に大事な問題だと思うのです。
 では真実の道は、一体いかにして興るものでしょうか。それには、「自分が道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。
 が同時にそれだけに、この誠の境地には容易に至りがたく、実に至難なことだと思うのです。
 と申すのも、お互い人間の誠には、「もうこれでよい」ということはないからです。すなわち、「もうこれくらいならよかろう」と腰を下ろしたんでは、真の誠でないからです。真の誠とは、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざることを歎くものでなくてはならぬからです。——
と述べています。
 森氏が語る「真の誠」は、「言うは易く行うは難し」でありますが、徳性を磨く心の持ち方として、「真の誠」に勝るものはないと言っても過言ではないと思います。

 わたしは中1のCLE2や高ⅠEの朝の講話で、「徳性を身につけるためには誠実で謙虚であることが最も大切である」と話しましたが、人に対しても、仕事に対しても誠実で謙虚であることが森氏が語る「真実の道」に近づく姿勢だと考えています。
 そして、昨年、一昨年の卒業式の式辞で「宇宙の意志」について触れたように、宇宙の意志、言い換えると、天の神様が見て、あれだけ誠実で謙虚に努力している人間を放ってはおけないと思ってもらえるような働きをすることが「真実の道」を歩むことにつながるのだと思うのです。
 「世界的教養人」、そして「愛と光の使徒」とは、このような「真実の道」を求める人間のことを言うのではないかと述べて皆さんへの餞の言葉とします。

 保護者への挨拶省略

 今回の「チュータのひとりごと」で、今年度のひとりごとを終了します。
 来年度は4月14日(日)に開始する予定です。

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