卒業式式辞の一部を二回に分けて掲載します。
「われらの信条」は特に知性と徳性の二本柱を立てて築き上げてきた愛光学園の歴史そのものであり,今後も変わることのない教育理念でなければならないのであります。その際に初代理事長ヴィセンテ・ゴンザレス神父様がおっしゃったように全人教育が基盤になければならないことは言うまでもありません。
深い知性の面では6年間,あるいは3年間,皆さんの一人ひとりが主体的に学ぶ姿勢を堅持しつつ,各教科の先生方にしっかりと鍛えていただきました。
また,高い徳性の面でも,神父様や学級担任,そして教科担当の先生方,さらには,ご父母をはじめとするご家族のよき導きによって,宗教的倫理観及び世俗的倫理観が磨かれてきたことと思われます。
また,徳性を磨くという点では,57期生の皆さんが中1のときに,愛と光の使徒を育成するカトリックの学校として,本校の歴史の中で初めてCLE2の授業を開講しました。
1週間に1時限,聖堂でオルガンに合わせて聖歌を歌い,日本語と英語で聖書を読み,誕生者のお祝いをし,神父様と共に手を合わせて祈りをささげ,わたしのつたない経験談を語りました。また,始業式や終業式,さらには入学式,卒業式等で様々な話をしてまいりました。
さて,今日の卒業式という記念の日に,皆さんの人生をより豊かにするということに少しでも役立つことを願い,「原因と結果」について話をします。
哲学の世界に「因果律」という言葉があります。
広辞苑によれば因果律とは,「一切のものは原因があって生じ,原因がなくては何ものも生じないという原理」と定義されています。
1902年に英国出身の作家ジェームズ・アレンは,著書「AS A MAN THINKETH」の中で次のように述べています。訳は坂本貢一氏によるものです。
―― 私たちの人生は,ある確かな法則にしたがって創られています。私たちがどんな策略をもちいようと,その法則を変えることはできません。「原因と結果の法則」は,目に見える物質の世界においても,目に見えない心の世界においても,つねに絶対であり,ゆらぐことがないのです。
私たちの誰もが内心では手にしたいと考えている,気高い神のような人格は,神からの贈り物でもなければ,偶然の産物でもありません。それは,くり返しめぐらされつづけた,気高く,正しい思いの,自然な結果です。そして,卑しい獣のような人格は,卑しく,誤った思いの,やはり自然な結果です。
私たちは,自分自身の思いによって,自分をすばらしい人間に創りあげることもできれば,破壊してしまうこともできます。――
「まかぬ種は生えぬ」とか「まいた種は皆生える」と,昔から言われている言葉も,原因と結果の法則を分かりやすく伝えているのだと思います。
わたしは人生は望みどおりになるのではなく,心通りになると考えています。つまり,ジェームズ・アレンが述べている「思い」を「心」と置き換えて考えているのです。
物事には原因があって結果があるということになると,まずわれわれが存在している宇宙や地球の存在は結果ということになるでしょうか。
それでは,その原因は何かという大変困難な問題に突き当たります。
この問題は神様にお任せすることにして,わたしたちがこの世に生を受けてからの話に絞りたいと思います。わたしたちは,自らの意思でこの世に生を受けたわけではありません。つまり,ある国のある地方のある家庭に誕生したのは,宿命であり,これを変えることはできません。
しかし,わたしたちは自らの心の遣い方で人生を変えられる力を持っています。宿命は変えられませんが,運命は変えることができるのです。
ジェームズ・アレンが述べる「自分自身の思いによって,自分をすばらしい人間に創りあげることもできれば,破壊してしまうこともできます。」というのは,宿命の部分ではなく,運命の部分に触れていると思われます。
それでは,「思い」,つまり心の遣い方が自分の人生に影響を及ぼすのは,いったい何歳からでしょうか。
「三つ子の魂百まで」と言いますから,3歳からでしょうか。それとも小学校に入学する年齢からでしょうか。
わたしは,敢えて年齢を区切るとすれば, 15歳だと考えています。もう少し幅を広げるとすれば12歳から15歳ではないでしょうか。
つまり,皆さんが中学に入学した,あるいは高校に入学した年齢から,原因と結果につながる心遣いをしてきたということです。