チュータ日誌

(2018/10/24)トマス・アクィナスに学ぶ(自由意志と罪について)

はじめに

これまでに、「トマス・アクィナスに学ぶドミニコ修道会の思想」として、『神学大全』にみるトマスの教えについて、不定期でご紹介してきました。 

前回の記事はこちら

 

『神学大全』では、第二部において、「悪徳と罪」に関しての議論が提示されていますが、その本質論や分類・比較について、原因論や原罪論について、さらには、霊魂への影響や、罰について、などなど、約40章にわたって詳細で膨大な議論が提示されております。

このような人間の「罪」について考察しようとするとき、そもそもの疑問として、次のような問いが我々の前に立ちはだかります。

 

「神の創造物である人間が、なぜ罪をはたらくのか」

 

この問いは、また、「神が世界を創造されたのであれば、なぜこの世界に「悪(と呼ぶべき状態)」が存在するのか」という問いとも関わってきます。

 

そこで本日は、罪の本質や原因に関する、トマスの教えについてみていきましょう(ただし、「原罪」の議論は除きます)。

 

人間はなぜ「罪」を犯すのか

人間は罪を犯します。人間は善に向かうべき道のりにおいて悪(=善の欠如)をなします。

本来、神の創造物として「善」であるはずの人間が、なぜこのような罪や悪を行うことになってしまっているのか。

 

これに対しては、トマスの時代より先んじて、以前にご紹介した「アウグスティヌス」(354-430)が、一つの答えを出しています。

VERITAS(真実)をみつめるアウグスティヌス

 

悪なるものは実在しない。悪は人間の自由意志によって生ずる「罪」だけである。人間が、倒錯した自由意志によって、主なる神の意志から離反することによって罪という悪をなす人間の意志は、自分の力ではいかなる善をも意志できない。しかし、神を信じ、ひたすら祈り、キリストを通して、人間は善いことをすることができる。神の恩恵によってのみ、人間は善をなすことができる。(部分抜粋・要約)

 

ただし、アウグスティヌスは、「人間は意志によっては善をなすことができない」と言っているのではありません(受験参考書にはそのように書いてありますので、受験生はそっちで覚えるのも仕方ないですが・・・)。人間が意志によって善をなす際にも、(たとえ気づいていなくても)それに先行して、キリストを通して与えられた神の恩恵が根源としてあるのだ、という深い次元の話なのです。しかし、アウグスティヌスの告白は、人間の自由意志や主体性を完全に否定しているかのように受け取れるため、一部の人からは大きな異論があったようです。

 

トマスの論証

これに対してトマスは、物事の原因というものをより物理的・客観的にとらえることによって、罪の原因をより論理的に説明しようとします。

トマス・アクィナス(イタリア人ゴシック画家Fabrianoによる1410年頃の作品)

 

「火」の完全性が「水」を滅ぼす(蒸発させる)ように、あるものの完全性という「善」が、ほかの物の完全性を奪うという「悪(=完全性の欠如)」を引き起こすことがあっても、それは、「付帯的な仕方で原因する」にすぎない。「善」は、付帯的な仕方でのみ「悪」の原因たるのである。

だが、意志的な物事の場合はこれと異なり、欠落的なる意志が、理性や神の法に従わないことによって秩序に反する何らかの行為をなすことによって罪をなす。ただし、こうした欠落そのものが罪たるのではなく、単なる否定でしかない

(以上、部分抜粋・要約)

 

補足

じつは、『神学大全』にはこのあたりの議論が詳細に書かれておらず、『悪について』という別の文献にくわしく書かれているようです。

ですので、上記の記述では不足している部分のトマスの主張について、簡単にまとめさせていただくと、以下のように言えるでしょう。

 

自由意志が原因となって生じさせるのは「行為」としての結果であって、悪はそのような行為に「付随するだけ」である。したがって、自由意志は付帯的な仕方でのみ悪の原因となるにとどまるのであり、理性や神の法に従わない欠落した自由意志それ自体は「悪」ではない。(要約)

 

この点、トマスは、アウグスティヌスよりも、より中立的に自由意志を見ている、と言うこともできるでしょう。また、「罪」の議論から「意志」と「行為」と「悪」を分けて考え、(上記の論証では省略しましたが)アリストテレス哲学による原因と結果の説明手法を用いて、より客観的・理性的に説明しています。

 

総括

いかがでしょうか。

自由意志をもった人間が神の法やキリストの教えに反して罪をなす場合に「自由意志が罪(または悪)の原因であるか」という問いとその議論は、キリスト教神学において、長い歴史を持っています。

しかし、以上の問題は「自由意志」や「自由」をどのように定義し理解するか、という問題とも関わりますので、そう単純ではありません。

上記の論証は、自由意志と罪についての議論の始まりにすぎませんが、トマスの考える「罪とその原因」について学ぶための参考になれば幸いです。

深く難しい問いではありますが、「神の法」と「人間の自由意志」との関係性について考えてみることは、いずれ皆さんの生き方そのものに多大な影響を与えるかもしれません。

 

参考文献 

山田晶『世界の名著 アウグスティヌス』中央公論社 1968

山田晶『アウグスティヌス講話』新地書房 1986

稲垣良典 『トマス・アクィナス 神学大全』講談社 2009

高田三郎 日下昭夫 『神学大全 第4冊』(創文社) 1973

稲垣良典 『神学大全 第12冊』 (創文社) 1998

 

絵画の写真は「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より

 

 

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