チュータ日誌

(2018/12/05)よみがえる愛光の歴史(建学の精神)

はじめに

愛光学園は創立70周年を迎えるにあたり、新校舎を建設する計画が発表されるなど、新たな時代に向けて、前進していきます。

そんな愛光学園の歴史を振り返る記事を、不定期でアップしております。

前回の記事はこちら

今回は、初代校長に就任することになった田中忠夫先生が開校準備にあたり、建学の精神や創立理念をどのように決められたのか、を見てみましょう。

 

建学の精神

田中らが最も心を配ったのは、学園の基本的性格付けであった。

まず考えたのは日本の社会が男子中学校に期待しているものを満たすことであり、日本におけるミッションスクールの正しい姿勢を整えることであろうということだった。

そして建学の精神として掲げたのが優秀大学の関門を突破できるだけの実力を養い世界に通用する教養人を育成するという「知徳」の両面にわたる教育の推進であった。

 

パブリックスクールをモデル

田中が目指した学園の姿は、旧制中学·高等学校が培った徳性と知性の再現であり、英国のパブリックスクールをモデルとするものであった。

また、日本の風土も考慮し、宗教的な色彩を前面に出さないこともドミニコ会との間で確認された。

 

このことについて、田中は後に次のように述べている(抜粋)。

 

「第一に日本の社会が男子中学校に最も強く期待しているものを充たすこと、第二に日本におけるミッションスクールとしての誤らない姿勢を整えることの二つを基本的性格にしようと考えた。

社会が男子中学校に期待している第一のことは、一流の国立大学にも入学し得るような深い知性と、世界のどこへ出しても恥ずかしくないような高い徳性を涵養することであると考え、これをわれわれは世界的教養人という標語で要約した。

かくて日本の旧制高等学校、英国のパブリックスクール的徳性と知性を備えた生徒を育てあげることを第一の目標とした。

もしこの一点にある程度の成果を収めるなら、中学·高等学校の存続困難な教育事情の中にあっても、社会は容認してくれるだろうと考えたのである」

 

参考文献

「愛光学園50年史」 愛光学園 発行(2002)

「愛光二十年」 愛光学園 発行(1972)

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