先月から聖ドミニコの生涯について紹介する記事を不定期でアップしております。
前回は、聖ドミニコの生涯をおおまかに見てみました。
今回は、ドミニコの生誕について、詳しく見てみましょう。
記述内容は、後掲の参考文献に依拠していますが、適宜、加筆・割愛させていただいております。
「ドミニコ、わたしは、父と子と聖霊とのみ名によって、あなたに洗礼を授けます」
カレルエガで生まれた一人の男児の額に、救いの水が注がれた。神の教会にもう一人のキリスト者が加えられた。
生まれたばかりのホアナ·デ·アサとフェリス·デ·グスマンとの三男が幼児洗礼を受けたのである。
西暦1171年のことであった。(注・・・別の文献では1170年となっている)
母親のホアナは、その子を「ドミニコ」と名づけたいと考えた。「シロスの聖ドミニコ」の力強いご保護の下に置きたかったからである。この聖者は、カスティリア全体であがめられていた有名なベネディクト会修道院長であった。
ホアナは、この地方の母たちの例にならい、子供の出産を前にして、カレルエガからわずか十二キロしか離れていないこのベネディクト会修道院を巡礼した。
シロスの修道院長・聖ドミニコもまた、彼の生誕以前に聖人に列せられた、ほかの「聖ドミニコ」のご保護におかれていた。ドミニコの名を持つ聖人としては、アフリカの殉教者「聖ドミニコ」とディオクレティアヌス帝の治下に、カンパニアで殉教した「聖女ドミニカ」の名が記録されている。また、近代においては、ドン·ボスコの生徒で、15歳で帰天した「聖ドミニコ·サヴィオ」もいる。
カトリックでは生まれた子に対して、聖人の名にちなんで名前をつけるということがよくある。
聖人たちの名をいただくことにより、彼らをわれわれに近づけ、彼らとわれわれとの間にある種の親しみを生まれさせ、われわれを彼らの保護の下に置き、これを手本にさせてくれる、とも言われる。
ドミニコ、ドミニカという名前は、ラテン語のDominus「支配者、支配」から転来した形容詞から成っており、「主に属するもの」という意味を持つとされている。
ホアナは、ドミニコが生まれる前に、胎内の子が、燃えるたいまつを口にくわえた白黒まだらな小犬の形をして、世界中を駆けまわっている夢を見たという。その不思議な物語のどこまでが伝説で、どこまでが史実であろうかを判別するのは難しいが、その象徴するものはきわめて明瞭であった。
M・D・ポアンスネ 「聖ドミニコ」 サン・パウロ 1999
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