もうすぐ創立70周年を迎えようとしている愛光学園の歴史について、創立当初からふり返ってみていく記事を不定期でアップしております。
前回の記事では、創立後のカトリック教育についてご紹介しました。
今回は、宮西の校地拡張についてご紹介します。
城西高校から購入した時点の学園敷地は伊予鉄市内電車の軌道が斜めに横切る三角形の形状のもので、こぢんまりとしたものであった。
学園では開校後、隣接する土地を購入し、校地の拡大に努めた。またこれとは別に、ドミニコ会でも市電軌道南側に土地を購入し、聖トマス寮の運営を開始した。
市電軌道をまたぐ学園発足当時の校地面積は約2500坪。運動場も一周200メートルもない狭さであった。
校舎の整備とともに運動場の拡張は当初からの念願で、1955年から翌年にかけて拡張に努めた。
まず確保したのは校地東側の部分で、1955年6月に北側道路沿いに約30メートルにわたって拡張した。面積は約250坪。
次いで1956年には学園南東部の、市電軌道を越えた場所にある畑地約380坪を購入して補助運動場とし、バスケットボール場などに使用した。
校地の拡張に加え、聖トマス寮も電車軌道を挟んだ形となったため、「校内に電車が走る学校も珍しい」と、生徒たちを愉快がらせた。
周辺の土地の収得により、宮西キャンパスの敷地は全体で約4200坪となっていった。
1955年3月、同居していた城西高等学校の最後の生徒を送り出した。
開校以来、同高校の校舎を使用しての授業だったが、この年、初めて学園として自力で校舎建築の第一歩を踏み出す。
城西高校から引き継いだ校地には、戦災後建てられた木造校舎や講堂があり、生徒募集中止によって空き部屋となった教室を使用したり、 一部改装したりしながらの授業だった。
職員室も校舎の一角にあり、教材も十分に整わないなど創立期の苦労があった。
もともと技芸女学校として裁縫などを教えていたから、生徒たちが掃除をするときに、教室の床板の間から裁縫針が現れることもよくあったという。
学園にとって校舎整備は急を要するものであった。
「愛光学園50年史」 愛光学園 発行(2002)