愛光学園の設立母体であるドミニコ修道会の創立者である、聖ドミニコの生涯についてご紹介する記事を不定期でアップしています。
スペインからデンマークへの旅の途中に、ドミニコは南フランスでカタール派と呼ばれる異端者たちが多く存在する村に宿営します。
奇(く)しくも、ドミニコが宿泊した宿の主人がまさにカタール派でした。
そこでのドミニコと宿主の出会い、そしてその後に起きる二人のやり取りは、宿主の人生だけでなく、ドミニコの人生にも大きな影響を与えることとなるようです。
それでは以下、くわしく見てみましょう。
一行は、宿営地のトゥルーズに着いた。
数十名の騎士からなる司教の随員たちが、人目を引かないはずはない。住民の大部分の顔には敵意が読みとられた。
一行は、幾組かに分かれ、あるいは個々別々に、民家に一夜の宿を求めなければならなかった。
そして、ドミニコの宿泊することとなった民家の主人は異端者だったのである。
人間の一生に決定的な出会いがあるとしたら、この出会いは、まさしくそれであった。
両者の対話がどのように始まったかは不明である。
しかし、この対話は夜を徹して続けられた。
ドミニコは、真理の受託者という自信をもって、相手の議論を、静かに、確実に論駁した。それは決して討論のようなものではなかった。
ドミニコを力づけていたのは、愛だけであった。
神に対する愛と滅びの危険に陥っている霊魂に対する愛だけであった。
彼は自分の勝利を求めなかった。
彼の答えには、激しさも、辛辣さもなかった。
その上、彼の論駁には、回りくどい議論はなく、明々白々な論述しかなかった。
なぜなら、異端が陥っていた誤謬を正し、福音の真理を述べたにすぎなかったからである。
夜が明けるころには、宿の主人はカトリックにたちもどることに決めたという――。
スペインでも同じように信仰は危機に陥っている。シエラ・グァダマラのかなたでは、武力をもってイスラム勢力を排撃している。
しかし、ここ南フランスにおいては、一人の人間が、真理の説得だけで回心した。ほかの人々に対しても、それができないわけがあろうか。
ドミニコは、一人の異端者を回心させた「喜びと驚き」とを胸に秘めて、北国への旅を続けるのであった。
マリ・ドミニク・ポアンスネ 著 岳野慶作 訳 「聖ドミニコ」 サン・パウロ 1999
挿絵・写真は「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より