愛光学園の設立母体であるドミニコ修道会の創立者、「聖ドミニコ」の生涯についてご紹介する記事を、不定期でアップしています。
スペインからデンマークへの旅の途中、ドミニコは南フランスのトゥールーズの村に宿営し、カタール派と呼ばれる異端派の教義を信仰している宿の主人と朝まで語り合います。
そうして、宿の主人をみごとに回心させることに成功します。
その時の様子を、前回の記事に載せましたが、
この出来事はドミニコの起こした奇跡として有名であり、また、ドミニコのその後の人生を決定づける出来事であったともいえ、
彼の人生にとって、とても重要な転機となったといえるでしょう。
そこで、この時の出来事について、ドミニコに関する別の文献ではどのように書かれているかをご紹介しましょう。
前回の記事と出来事が多少重なってしまうのですが、以下、ご覧ください。
ドミニコは、その宿主がカタール派と知ると夜を徹して彼と語り明かす。
どのように語り合ったのであろうか。
ひとつだけ言えることは、ドミニコは、決して一方的にきめつけるような話し方はしなかったということである。
ドミニコは、相手を打ち負かそうとしてではなく、自分が確信するところを相手に伝えようとして話す。
熱烈ではあったが、決して威嚇的ではなかった。
これは、ドミニコの一貫した姿勢であった。
「誤謬を正すのは、真理を説くことによってである。」
彼は、宿主にその論の矛盾を示す。
対立して二つあるようなものは神ではない・・・
ドミニコの熱のこもった、心からの論は、遂に宿主の心を動かし、夜が明けそめる頃、宿主はカトリックにたちもどる。
一睡もしなかったトゥールーズを発って旅を続けるドミニコの心中は、どのようなものであったろうか。
この一夜が、彼の生涯に大きな意味を持ったことは確かである。
この3年後には、ドミニコは自分のすべてを賭けて、対カタール派の活動をすることになり、こののち十数年後には、このトゥールーズに、ドミニコ会の最初の礎を置くことになるのである。
しかし当面は、ドミニコはデンマークへと旅を続ける。
この先の旅路については、何も記録は残っていない。
デンマークでの使命は成功し、ディエゴ司教は、当時の習慣に従い、代理権を行使してカスティリア王子とデンマークの貴族の姫君との結婚を成立させ、再び困難の多い旅の果てに、オスマに帰り着いたという。
スール・マリア・ベネディクタOP 「聖ドミニコの生涯」 聖ドミニコ学園後援会 1989(非売品)
挿絵・写真は「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より