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チュータのひとりごと

2005年の最近のブログ記事

「足を運ぶ」ということ(2)

 寮生の面談についても同じことが言えるのではないだろうか。寮生の面談を寮でする意味は,実は教員が寮へ「足を運ぶ」ことにあるのではないかとわたしは思っている。

 以前の「ひとりごと」でも述べたが,学年主任をしたときに,クラス担任の先生方に,一人につき,年間5回の面談をお願いした。各クラスに約50名の生徒がいたので,合計250の面談を実施したことになる。

 1回の面談が多いときで5名くらいであったので,年間に50日,面談日があったことになる。もちろん,これは最低の回数で,実際には70日くらいの面談日があったはずである。

 さらに,わたしは,クラス担任に寮生の面談はできるだけ寮でやってほしいとお願いをした。クラスの半分が寮生である場合,担任は30日以上,寮に出向かなければならない。年間の開校日数を考えると,1週間に1度は寮に出かけなければならない計算になる。5人の担任が,かわるがわる出かけることにすれば,週に5日間,担任の誰かが寮に出向くことになる。

 寮生の面談は,学校で放課後にすることも可能である。しかし,個室に足を運び,彼らの「城」で話をすることがいかに大切であるかは,足しげく通った者にしか分からない。

 たわいもないことだと思えるかもしれないが,クラス担任がわざわざ足を運んでくれたという事実に対して,寮生は心を動かしているのである。

 人と人の心の絆は,この「運ぶ」という行為から,より深く結ばれることがあるということは,心に留めておかなければならない事実であろう。

  おわり



 お知らせ

 今年の「チュータのひとりごと」は今回で終了し,
来年は1月15日(日)からスタートする予定です。

チュータのひとりごと(180)

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「足を運ぶ」ということ(1)

前回の「ひとりごと」で,寮生の親が電話で連絡をとっていたのを手紙で連絡をするように切り替えたことについて触れたが,これは,簡単な方法からより時間がかかる方法に変更したということである。


 今の世の中,便利になって,用があれば,電話で済ますことが多くなった。つまり,現代社会は,時間をいかにして短縮し,手早く処理するかということを求めているのである。


 このような風潮の中で,より手がかかる方法に切り替えることは,勇気のいることである。


 ずっと以前に,「二つの方法から一つを選ぶときには,より困難だと思われる方法を選ぶべきである。」と聞いた覚えがある。


 わたしは学校で忙しく動き回っているときに,不思議にこの言葉が思い浮かぶのである。そのような時には,電話で済ますほうが早いと思っても,相手のいる場所まで「足を運ぶ」ことにしている。人と話をするときに,こちらが足を運ばせてもらって,面と向かい合って話をするほうが,相談がスムーズに進むことが多いのは,よく経験したことである。

  つづく

入試説明会と在校生のご父母(3)

わたしは,何かをやめるように勧めたのではなくて,「子どもの精神的支えになるには,何をすればよいのだろうか。」と考えてみることも必要ではないかと申し上げたのだと答えると,「分かりました。何か考えてみます。」という返事であった。その後,具体的な事実については教えてくれなかったが,何かを実行したと聞いた。院長の子どもは現役で京都大学の医学部に合格した。

また,寮生の母親がそれまで電話でのみ連絡を取っていたのをやめて,これからは,手紙を書こうと決めたということも聞いている。

この三者に共通することは,一つの「思い」を持って,ある行為が行われているということである。

つまり,目には見えない「心遣い」がある。その目に見えない「心遣い」が,目に見えない人の心を動かすのではないだろうか。人の心が動くと目に見えるものが動いてくる。子どもの「やる気」は心の動きから起こるものであって,人の心は人の心でないと動かせないものではないだろうか。

目に見えない「心遣い」が,最終的に目に見えるものを動かすのだということを意識して,子どもの精神的支えになることができるのは,保護者しかいない。それぞれの立場で,子どものサポートをしっかりすることが,子どもの教育にとって大切であり,それは,入学後も変わらないことであろうと思う。

以上が入試説明会で述べたことであるが,この「体育大会の日に,子どもと一緒にお弁当を食べることが,待ち遠しくてたまりませんでした。」と述べた母親は,まさしく素晴らしい「親の心遣い」ができているのだと実感した。

入試説明会と在校生のご父母(2)

また,これも「教務のひとりごと」で触れたことであるが,わたしがPCのディスプレイと毎日向き合うため,目が疲労するのではないかと気遣ってくださり,目薬とチョコレートを送ってくれたご父母がおられることも分かった。

特に,スプーンを取ってくれたご父母にお会いするのは,これが初めてであったので,どのような方だろうかとお会いするのを楽しみにしていた。

説明会が終わり,話をする機会があった。

想像していた通り,大変細やかな心遣いをされるお母様で,思いやりのある心の優しい子どもが育つ理由が分かった。

そのお母様が会話の中で,次のように述べた。

「わたしは,学校のさまざまな行事を大変楽しみにしています。先日行われた体育大会の日には,夜中に起きて弁当をつくり,学校に出かけました。子どもと一緒にお弁当を食べることが,待ち遠しくてたまりませんでした。」

この言葉を聞いたとき,わたしは,今までの生徒に対する自分の態度が,一瞬のうちに色あせたものになってしまったような気がした。

このお母様のように,心を込めて,生徒に接したことが自分の教師生活でどれほどあったのだろうかと思いつつ,記憶の中をどんどんさかのぼってみた。

特に,最近,担任業務についていないこともあって,遡及の流れがなかなか止まらないことに焦りのようなものを感じたが,結局,「親の子を思う気持ちにはかなわない。」という思いが頭の中に浮かんで流れは止まった。

実は,この日の入試説明会の最後に,「親にできること」という項目で話をした。その内容は次のようなものであった。

東大医学部に入学した生徒の母親が,「わたしは子どもが勉強をしている間,テレビの娯楽番組を見ることをやめました。」とある会議の席で述べた。

この話を,父母懇談会の席でわたしが話したところ,会が終わってから,総合病院の院長であった父親がやってきて,「わたしは酒が好きなのですが,これをやめることはどうしてもできません。」と言った。

つづく

入試説明会と在校生のご父母(1)

 11月5日(土)に「愛光学園学校説明会」を本校で開催した。

約900名の生徒と保護者の参加があり,午前中に授業参観,寮案内,午後は中学と高校に分かれて,教育課程や入学試験について説明が行われた。

この学校説明会のほかに,行事予定表にも記入されている地域で「入試説明会」を実施している。総務が中心となって,各地域に出向き,学校の教育方針,寮の説明,入学試験などに関する説明を行う。

今年度わたし自身の仕事として,3箇所の地域で説明会を行った。愛光の詳細な情報に初めて触れる入学希望者とそのご父母にお会いできることは,大きな楽しみの一つであるが,実はもう一つ大きな楽しみがある。

それは,本校の入試説明会には,各地域出身のご父母が世話係として手伝ってくださるため,そのご父母といろいろな話ができることである。

わたしが今年度出向く地域の一つに,中1宿泊研修の折に,「スプーン」をわたしに取ってくれた生徒のご両親がいらっしゃることが分かった。これは,以前,「チュータのひとりごと」(第169回)で触れたことがあるが,ここで,その出来事をもう一度振り返ってみよう。

― 2日目の昼食時に生徒たちの列の中に入り,バイキング形式の料理からいろいろ選び,最後にカレーを食べてみようと思って,カレーのコーナーに行き,自分のトレイに乗せた。

生徒が食事をしているテーブルに空いている席を見つけて,そこに腰を下ろした。

横に座っている寮生と話を交わしながら,さあ食べようとトレイに目を向けると,カレー用のスプーンがない。

「しまった。スプーンを取り忘れた。」という言葉が何気なく口から出てしまった。

その時,わたしと会話をしていた寮生の一人が,「先生,ぼく,取ってきます。」と言って素早く立ち上がり,スプーンを置いている場所に取りに行き,わたしのところまで持ってきてくれた。その行動は素早く,いかにも自然な振る舞いであったことに驚かされた。

このような態度は,おそらく彼の家庭で育まれたものだろうと思って,「お父さんやお母さんのおかげで,君のような思いやりのある子供が育ったんだろうね。」と言うと,彼は満面に笑みを浮かべていた。―

チュータのひとりごと(第169回) 抜粋

  つづく
二大行事と「絆」

 年間の二大行事である「文化祭」と「体育大会」が,それぞれ9月11日(日)と9月13日(火)に行われた。

文化祭では,天気予報が「雨」ということで心配をしたが,少し雨がぱらつきはしたものの,ほとんど影響がなかったのは幸いだった。

体育大会は,晴天ではあったが,残暑が厳しかったので,好天と言えるものではなかった。

行事は,ただ楽しみのためにあるのではない。教育の中で扱われる以上,行事は「行事教育」でなければならないとわたしは常々思っている。

それでは行事教育を通して,生徒の心に何が起こるのかということになるが,それは「感動」というものであろう。

教室の授業でも「感動の教育」ができないわけではないが,毎日の繰り返しが多い教科授業では,そうたやすくできることではない。

ところが,文化祭や体育大会は,生徒たちの感動を引き起こす場面をふんだんに設定しているため,容易に生徒の心に感動を与えうるのである。

この感動の原点は,「個」ではなく,クラスとかグループとかの「群れ」で一つの目標に向かって進むことではないかとわたしは思っている。

文化祭では,「絆」,そして体育大会では「ターニングポイント」というテーマが設定されていたが,ここにも「群れ」となって生徒たちがテーマに向かって突き進むという構図が見て取れる。

それでは,このような感動の教育から何が生まれるのかというと,くしくも,生徒たちが今年の文化祭のテーマとして設定した「絆」が生まれるのである。生徒と生徒の触れ合いから生まれる「生徒と生徒の絆」,生徒と教師の触れ合いから生まれる「生徒と教師の絆」,この絆が深まることに,行事教育,つまり感動の教育の意味があるというと言い過ぎであろうか。

今年の文化祭,また体育大会の様々な場面で,「生徒と生徒の絆」と「生徒と教師の絆」が深まったであろうことは,容易に推測できるし,現実にそうであったとわたしには思われる。

特に生徒と教師の絆は,生徒と教師の触れ合いなくして生まれるはずがない。どのように生徒とかかわりを持つかということは,難しい問題かもしれないが,行事教育の中では,「触れ合いなくして絆は生まれない。」のである。

おわり
ハワイ(2)

入国審査官が日本語と英語で質問をしてきた。どちらの言語で返事をしてよいか迷ったが,家族の手前もあって,英語で受け答えをした。

そのうち,わたしが英語で,審査官が日本語で話をする場面があり,おかしな状況になってしまった。

どこに宿泊するのかと聞かれたので,やっと覚えた言葉,「ハレクラニ」と伝えたら,素晴らしいホテルだと言う。それで,前回は「シェラトン」に宿泊したと告げると,審査官は「シェラトン」よりも「much better」 だと言って,「ハレクラニ」の何がシェラトンよりも素晴らしいかを,今度は英語でしゃべり始めた。ひとしきり講釈を聞かされた後,入国が認められた。

英語をしゃべったのはここまでであった。というのは,この旅行は「ルックJTB」のお世話になったため,日本語ですべてのスケジュールが進んだからである。

32年前にハワイを訪れたとき,日本語はほとんど通じなかったような覚えがある。5年前には,同じ「ルックJTB」の旅であったこともあるが,英語を話さなくとも,不便を感じることはなかった。それでも英語を使わなければならない場面が多かった。しかし,今回の旅は,完全に英語なしでやっていける旅であった。それだけJTBのネットワークが完成されてきたのだろうと驚き,感心もした。

もちろん,今もハワイの街中に出れば,日本語はほとんど通じないらしい。しかし,楽しみの目的だけでハワイを訪れるのであれば,「ルック」の旅ほど楽な旅はない。お年寄りや家族とともに楽しむ旅であれば,これほど便利で安心できる旅は他にないのではないか。それほど,見事に企画されているのである。

しかし,英語のスピーキングもハワイに出かける目的の一つであれば,やはり,インターネットで予約をするなど,自分でチャレンジする部分が多い計画のほうがお勧めである。

本校の英語科の安藤直希先生は,このようなチャレンジ型の旅行のベテランなので,そのような計画をする際,尋ねてみるのも一つの方法である。

 おわり

チュータのひとりごと(174)

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ハワイ(1)

 チュータ日誌の8月3日(水)~6日(土)まで,4日間更新を休ませてもらった。

 チュータ日誌を掲載し始めてから5年が経過したが,4日間も自己都合で更新を休んだのは初めてのことである。

 実は身内の結婚式をハワイで挙げることになり,同行しなければならなくなったのが,その理由である。

 最初,ハワイと聞いたとき,なぜハワイまで出かけていって挙式をするのか,わたしには理解できなかった。

 結婚式といえば,自分たちの時代のように,親族や友人に集まってもらい,披露をするものだと思っていたからである。

 しかし,今回,式に参加して,若者がなぜハワイやサイパンなどの南の島々で挙式をするのか,そのわけが分かった。

 海の青,芝生の緑,フロックコートとウエディングドレス,そして波と教会の白,この三つが見事にマッチして,一生思い出に残るシーンが演出されているのである。

 ハワイは3度目で,32年前と5年前にも5日間ほど滞在したことがあるので,少しハワイについて触れてみたい。

 テロがあってから,アメリカに入国するのに,かなり厳しいチェックがあると聞いていたが,先ず出発の関西空港で驚いた。全日空とのコードシェア便ということで,ユナイティッド航空を利用することは分かっており,ある程度の覚悟はしていた。

出発の荷物検査でスーツケースの隅々までチェックを受けた後,中に入れている洗面具のバッグまで中を開けるように求められた。

無事ハワイのホノルル空港に到着したが,入国審査の際,両手の人差し指をスキャナの上に乗せ,指紋をとられ,顔写真までとられた。それほど時間もかからないし,複雑な手続きでもないが,アメリカがテロにいかに神経を尖らせているかがよく分かる出来事であった。

つづく
台風14号と臨時休校(2)

気象庁から出ている様々な台風情報に目を通しながら,5時半を待った。

5時半になって再度インターネットで確認したが,暴風警報は出ていない。「最新の情報に更新」を何度クリックしても変化はない。

ここで芳野敬三教頭に電話をし,警報が出ていないことの確認をした。芳野教頭はテレビでNHKと南海放送のチャンネルを交互に見ていたとのことである。

暴風警報が発表されなければ,当然,休校の連絡はできない。必ず発表されると予想できたとしても休校にはならないのである。

早い時間で申し訳ないと思ったが,松山地方気象台に電話をして,警報が発表される時刻を尋ねた。担当者から「午前9時までには発表されると思う。」と答えが返ってきた。

再度,芳野教頭に電話をして,上記の内容を伝えた。5時40分頃であったと思うのだが,「南海テレビ」で警報のテロップが流れたという芳野教頭の声が電話口から聞こえた。

わたしはすぐにインターネットの情報を更新したが,変化はなかった。もう一度,テレビに流れているテロップは本当に暴風警報であるのかどうかを確認して,再度更新をクリックすると暴風警報の欄に黒丸が記入されていた。

松山地方気象台が午前5時39分に愛媛県全域に暴風警報を発表したことが,気象庁のホームページで分かった。

わたしが気象台に電話をしてから5分も経たないうちに,暴風警報が発表された。気象台もこの14号には手を焼いていたのかもしれない。

教務部OA主任の八代昌平先生が愛光のホームページのトップページに,休校の連絡を記載した。わたしは,その後,床につくわけにもいかないので,学校へ向かい,6時10分にチュータ日誌に休校の連絡を記載した。

先日,保護者宛に「台風による臨時休校」の確認方法について,プリントでお伝えをしたが,教務部OAが本校のトップページと携帯電話用Webサイトに「愛光学園緊急連絡」として記載することが決まった。

おわり
台風14号と臨時休校(1)

 先日台風14号が九州に上陸した。大きな被害が報道される中で,松山地方は暴風圏に入ったものの,予想よりも西を通過したために,さほど大きな被害はなかったようである。

 台風がやってくると,学校を休校にするかどうかで,いつも頭をかかえてしまう。

 今回も例外ではなかった。

 14号はスピードが遅く,何日の何時に愛媛県に影響が出るのかが予想しにくい台風であった。

 学校ではどのようにして台風の情報を入手しているか,紹介してみよう。

 インターネットで気象庁のホームページにアクセスし,先ず台風情報をクリックして,台風経路図を見る。次に気象警報・注意報をクリックして地図上の四国をクリックすると四国の警報と注意報が黒丸で分かるように表記されている。

 ここで暴風警報の欄に黒丸がついていると,学校は休校になる。

 次に愛媛県をクリックすると松山地方気象台の発表が掲載されており,さらに詳しい情報を手に入れることができる。

 不思議なもので,毎回この経路を見ていると,進路が予測できるという錯覚に陥ることがある。

 今回の台風は4,5日前から,必ず松山を通過することになるだろうとわたしは確信していた。経路を見れば誰でもそう思えたに違いない。

 9月5日(月)の放課後,芳野敬三教頭と暴風警報の有無を6日(火)の午前5時30分に確認しあうことに決めた。

 わたしは,瀬戸内海の島で生まれ育ったこともあって,台風の恐ろしさを幾度も経験している。そのせいか,台風のときは,決まって夜中に何度も目が覚める。

 5日から6日の早朝にかけても,夜中の2時に目が覚め,インターネットで気象庁のホームページを確認したが,愛媛県にはまだ暴風警報は発表されていなかった。

 次に5時前に目が覚め,再度インターネットで確認したが,やはり,暴風警報は出ていなかった。

  つづく

2013年1月

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